ご注意
*社会人ザックスと(他の男の)人妻クラウドが、ボロアパートで出逢って恋におちる現パロです。
 年齢操作あり。(ザク26歳、クラ19歳ぐらい?)
*クラウドが身体的、心理的、性的なDV被害にあっている描写がありますので、ご注意ください。
*エアリスはザックスの幼馴染。クラ←エアな雰囲気もあります。




ただ、手のひらを温めてあげたいんだ。
それが「やさしい」って気持ちなんだね。

【中編】




「あの…これ、よかったら受け取ってください!」

仕事帰り、テイクアウトでコーヒーとカフェモカを二つ注文。
それが日課のようになっていたザックスに、差し出されたのはレシートと釣銭、そして小さな包みだった。
店側のサービスなのかと何の抵抗もなしに受け取った後で、女性店員の期待に満ちた視線に気付き、正直失敗したと思った。

「いつも、カフェモカに生クリーム多めって言っていたので。甘いもの、好きなのかなって…っ。私、結構こういうの得意な方で、クッキー焼いたんです。食べてください!」

店側のサービスではない、これは個人的な彼女の好意だ。
若さ故か、お世辞にも巧みとはいえないたどたどしい告白、それに頬に残るそばかす、清潔に切りそろえられた爪――
今までザックスが付き合ってきた、華やかな女性達とは真逆のタイプ。
好みではないのだけれど、新鮮に感じてしまう。
ひとの美しさなんてものは、外見ではなくて内から滲み出るもの…そのことに最近気付いたから、だからかもしれない。

たとえば、痣だらけで傷だらけの顔をしているあの子のような――
心の棘がすっと抜けて、不思議なぐらい、優しい気持ちになれる笑顔。
ああいうのをきっと、ひとは「愛くるしい」と表現するんだろう。
頬を染める彼女の気持ち、それに応えることはやはり出来ないけれど。

「ありがとう、じゃあ遠慮なくいただきます。家で待ってる子が――こういうの、大好きなんです。」

また、鈍いふりをして彼女の気持ちをいなす。
些か残酷かと良心は痛むけれど、期待は持たせるのはもっと残酷だ。
かといって、せっかく作ったものを突き返すほど冷酷にもなれない。
もともと嘘を疎むザックスは、ただ「真実」だけを口にしてカフェを後にした。

そう、真実。
カフェモカ生クリーム多め、それを家で待っているひとがいる。
ただし、家と言っても、正確には「部屋の前の廊下」。あの子はきっと、今夜も閉め出されているに違いないのだ。
手に持ったコーヒーとカフェモカの紙袋を慎重に抱えながら、けれど駆け足で、アパートへの帰路を急いだ。





*******


カン、カン、カン、カン、

長い脚をふるに使って、二段飛ばしで鉄筋の階段を上がりきれば、いつものように彼が座りこんでいた。
やはり薄着。それでもあの夜もような、シャツ一枚なんていう危うい恰好ではないから、それにほっと胸を撫で下ろした。
こちらに気付いているだろうに、顔をあげてくれない。けれどうっすらと耳元が赤く染まっているのがわかる。
彼がどんな顔をしているのか、それを想像するとくすぐったい気持ちになって、少年のすぐ隣に自分もしゃがみ込んだ。
そうして囁くように――部屋の中の男にはけっして聞こえぬように、そっと話しかけた。

「ただいま、クラウド。」
「…………、」
「遅くなってごめんな。すげえ急いで仕事終わらせたんだけど、アンジールに長い説教くらっちゃってさ、」
「……アンジールって誰、」
「俺の上司。ごつくて、いかつくて、むきむきで、マッチョで、ワイルドだぜえってかんじの、」
「ぶっ、全部同じじゃん。」

ようやく顔をあげたクラウドに、さり気なく新しい痣や傷がないことを確認する。
それらが増えていないからといって、見えていないところを殴られた可能性もある。けっして安心は出来ないけれど。
「どれぐらい外にいた?」
「たった今、だよ。」
嘘だとすぐにわかった。彼の少し皮剥けた唇は、寒気のせいで真っ青だ。
「これ、クラウドの分。クリームたっぷりのあったか〜いカフェモカ、チョコチップのトッピングつき。これが欲しかったら、10秒以内に俺の部屋に入ること!」

クラウドは、少し困ったような顔をした。けれどこの表情は嫌悪ではない。それをもう、ザックスは知っている。
「……お願い、クラウド。入って。」
彼と視線をしっかり合わせて、そう真摯にお願いをする。
クラウドは頷くことはしなかったけれど、その小さな手をひいて立ち上がれば、黙って従った。
氷のように冷え切った手――それがやるせなくて、彼の手を包みこむようにぎゅうと握りしめた。





*******


「別に、頼んでないのに。」

コタツの中で、ザックスのカーディガンを羽織り、まだ温かいカフェモカをふうふうしながら飲むクラウド。
感謝の言葉どころか、可愛げの欠片もない台詞を投げ捨てるクラウドに、けれどそれでも微笑ましく思えてしまうのは。彼の性格を、徐々に理解してきたからだ。
クラウドの性格、それはもう――――素直じゃない≠アの一言に尽きる。

「俺のコーヒー買うついでだからさ。それとも、こういうのって迷惑?」
「…っ、違う、そうじゃ……」

「ありがとう」や「ごめん」、そう言った言葉を、なかなか口に出せないクラウド。けれど、その瞳は雄弁だ。
大きな大きなアイスブルーの瞳に映るのは、ザックスへの感謝や恋人への後ろめたさ、それに自責の念。
複雑な感情が入り混じりながらも、けれど恐ろしいほどに無垢なその心は、愚かであると同時に美しかった。

初めてクラウドをこの部屋にあげてから、数日間――
夜22時頃になると、まるで毎日のお決まりといえるほどに、彼は部屋を閉め出されている。
それを仕事帰りのザックスが拾うようにして、彼を自分の部屋へ誘う。
実はブラックのコーヒーが苦手だというクラウドに、甘いカフェモカを土産に買って帰るのはもはやザックスの習慣だ。
最初は渋っていたクラウドが、ザックスのしつこさに根負けしたのか、あるいはカフェモカにはまったのかもしれないけれど、
困った顔をしながらも大人しく部屋へと入ってくれるようになった。

とくに何をするでもない。クラウドはコタツの中で暖をとりながら、猫舌なのかカフェモカをゆっくりと飲む。
時にはザックスの趣味であるバイク雑誌を読んだり、食事をともにとることもある。
独り暮らし歴が長く、デートは外出派のザックスにとって、誰かと食卓を囲むのはあまりに久しい。
だからこそ新鮮なのか、不思議なぐらいに時間が過ぎるのはあっという間だ。
クラウドは自分からは多くを話さないけれど、頭の回転が速いのか、ザックスが話しかければその切り返しは適格で独特。言葉のキャッチボールが、とにかく面白い。
毎晩彼と過ごす、およそ2時間あまり――それはザックスにとって、ほんの数分のようにさえ感じる。
もっと、彼とたくさんの話をして、たくさんの話を聞きたかった。彼のことをもっと、知りたかった。

「……俺、帰らなきゃ。」
時計も見ずに、クラウドがそうぽつりと言った。
時刻は0時過ぎ――それは当然、門限だとかではなくて、ただ隣の部屋のある物音≠ェ止んだからだ。



物音。それは、恋人であるはずの男が、他の誰かと性行為に及んでいる…声や音。



毎晩、他の女と寝るために、家から閉め出されていること。
それをクラウドは知っているのに、こんな仕打ちをうけているのに、彼はそれでもあの部屋に帰ろうとする。
その選択肢しか知らないように。
だからザックスはわざと、他の選択肢を彼に提示するのだ。

「…泊まっていったら?まさかおまえが俺の部屋にいるなんて、知らねえだろうし。」
「ううん、帰る。」
名残惜しいと思うのは、自分だけなのだろうか。クラウドは少しの迷いもないように立ち上がる。
狭いコタツの中で触れていた彼の足が抜け出て、ヒヤリとした空気が入り込むと、言いようのない寂しさを感じた。

「でも、その女と――はち合わすかもしんねえぞ。」
「別に、慣れてるから。」
引き留めたくて、少し意地悪な言葉を口にした。けれど、彼は気にした風もなくあっさりと返した。
ザックスの貸していたカーディガンを脱ぐと、それをこちらに手渡して、そのまま玄関を出ていこうとする。





「待って、クラウド。」
彼の小さな口に、一口サイズの焼き菓子を押し込んだ。
例のカフェ店員からもらったクッキー。手作りとは思えないほどに、見た目も綺麗で美味そうなできだ。
いきなり口に菓子を押し込まれ、びっくりしたのか、「ぶふっ」と変な声を漏らした。それがやけに可愛らしく思う。

「おまえ、甘いもん好きだろ?だからこれ、もらってきたんだ。持って帰る?」
「……ザックスは、嫌いなの?」
「甘いもんはあんまり、食わないんだ。」
「そう……」
口をもごもごさせながらも、しゅんと項垂れたクラウドの反応に。ザックスはもしやと気付く。

「…………まさか、とは思うんですけど。あの時のクッキー、」
「……違う、」
「いや、おまえだろ?!前に下手くそなクッキー、俺にくれたのって!」
「違うもん!」

素直じゃない性格も、ここまでくればもはや賞賛に値する。
初めて会ったあの夜なんて、クラウドはザックスに「消えて」とまで言い放ったのだ。
それなのに、まさか翌日手作りクッキーを玄関のドアにかけてくれていた。
…これほど天邪鬼だと、さすがに笑えてくる。愛おしくて、顔が勝手に、にやけてくるのだ。

「あれ、クラウドが作ったの?うまかったよ。ありがとな。」
「…下手くそって、言った。」
「下手だけど、美味しかった。すっげー、俺好みだったよ。マジで、一人で全部食ったもん。」
「嘘ばっかり。そんなわけないよ。」
不器用で、素朴な味のクッキーは、本当に美味しかった。
幼馴染の作る、SNSでUPするために作ったようなオシャレな菓子ではないけれど、だからこそ嬉しかったのだ。
ザックスのためだけに作ってくれた――それが、伝わってきたから。




「俺、何やっても駄目なんだ。料理も、掃除も、本当何も出来なくて――頭も悪いし、性格もつまらない。…顔も、こんなに不細工だし。」




料理や掃除が苦手――そんなことは、大したことではないと思う。
むしろ元来器用なザックスにとって、不器用さとは自分に無縁のものであって、どこか愛おしささえ感じる。
そしてそれ以外の彼の言葉は全て、事実とは異なるクラウドの思い込みではないだろうか。
彼の抱く自己への嫌悪は、ザックスにとっては違和感しかなかった。
だって、クラウドは頭の回転が速くて、他人の気持ちの機微にとても聡い。
彼と話す時間はとても楽しい。…というよりも、むしろ彼と過ごす時間、それがとても幸せだ。
彼が不細工だと賤しめる顔だって、確かに痣や傷だらけで、本来どんな顔をしているのかまだよくわからないけれど、でもきっと、




「だから、俺なんか殴られて当然――」




決して、ザックスの否定の言葉を待っているわけではない。
クラウドは本当に、そう思っている。自分の価値を、見誤っている。
そんなクラウドが、あまりに可愛そうで――思わず、彼の華奢な肩を引き寄せた。
肩を右手で掴んだ瞬間、怯えるように身を強張らせたから、きっと殴られると思ったのだろう。

苛立った。

こんな風に、まるで当たり前のように暴力を受け入れるクラウド――
彼に、こんな恐怖を与える「隣人の男」が。
彼に価値がないのだと、いつも罵倒を繰り返しそう思い込ませた「隣人の男」が。
…心底、憎くて許せない。


「クラウドは、可愛いよ。」


そんなわけない、そうすぐさま否定の言葉を口にしようとしたクラウドの唇に、そっと人差し指をたてる。
指の腹に感じる、柔らかな唇の弾力。それに花のように香る吐息。それに引き寄せられるように、ぐっと顔を近づけた。
「クッキー、美味かったよ。クラウドと話すのはすごく楽しくて、2時間なんてあっという間に経ってる。おまえが帰った後、すごく寂しい気持ちになる。そんで、すぐ会いたくなる。別れたばっかなのに、もうおまえのこと考えてるんだ。だから、」
絶対に、彼から視線を離さずに。本当だけを、言葉にする。




「殴られていいわけがない。おまえみたいな子は…抱き締められて、当然だ。」




いまだ小さく震える肩を、包むように、護るように。そっと抱き締めた。
もしも自分だったら、自分がクラウドの恋人だったら―――傷ひとつ、つけたりしない。




「………ザックスみたいなひと、好きになりたかった。」




けっして彼の細い腕が、ザックスの背にまわされることはなかったけれど。
それでも構わないと、彼の髪を梳くように撫で続けた。

――優しさなんてものは、見返りを求めるもんじゃない。ただ、与えられるものであるべきだ。

そんな、ほんとうのやさしいきもち≠ェ自分の中にあるということ。
きっと彼と出逢って、初めて知ったのだ。






********



「なーんか、私ってお邪魔虫、なのかなあ。」
「なにが?」
「ザックス、水くさいと思うの。」
「だから、何が?」
「彼女できたんでしょ。なんで話してくれなかったの?」
「いやいやいや、エアリス。急にアパートに来て、なんで勝手にいじけモードになってんの。彼女なんていないし。むしろおっぱいバーンでお尻ボーンな子、エアリスに紹介してほしいぐらい…」
「ねじり切っちゃうわよ?」
「すみません!」

休日の、天気の良い昼下がり。
連絡もなしに突然乗りこんできた幼馴染は、まるで実家の母さながらに家庭的なエプロンを身に着けて、冷蔵庫の中やら水回りの衛生状態を確認する。そして盛大にため息をついてみせるのだ。

「思ってた以上に、ちゃんと自炊してるっぽいし。掃除も行き届いてるし。」
「学生の時から独り暮らししてんだぞ、料理と掃除は基本だろ。」
「また見境なく女の子のお尻を追いかけてるかと思ったら、お天気のいい休日なのに一人ぼっちだし。」
「なに、泣いていいの俺?」
「――歯ブラシふたつ、マグカップふたつ、クッションふたつ。」
「え、」
エアリスはぷくりと膨らませていた頬を、今度はにっこりと満面の笑みにかえて。



「ついに、本命の子ができたんでしょう!」



なるほど、そういうことか。
エアリスの読みは大きく外れているけれども、この部屋の変化に気付いた彼女はさすがは古い付き合いといえる。
アパートに引っ越してきてからおよそ一か月。隣人の少年と出逢ってからというもの、ザックスの部屋の中には「ペア」で揃えられたものが増えていった。
まるで同棲さながらに――けれど現実は、けっしてそんな甘い展開ではない。
夜22時から0時まで、彼が恋人から追い出された際のシェルターとしてやってくる。
そのわずかな逢瀬のために、自然と買い揃えてしまったものだ。

「そんなんじゃねえよ。会えるのは、一日たった2時間程度だし。絶対、泊まっていってくれねえし。…それに、彼氏いる子だし。」

事実をそのまま口にしているだけなのに、言葉にするとなんだか妙だ。
だって、この台詞ではまるで、ザックスがエアリスのいうように「本命」な誰かに、叶わぬ恋をしているかのよう――
「ふむふむ、」
「なんだよ。」
わざとらしく頷くエアリスは、さも確信を得たと言わんばかりに、満足そうに笑った。

「毎日2時間会ってて、まだ足りないのってどんな関係?」
「どんなって…」

たしかに、これまでザックスは、恋人と頻繁に逢瀬を重ねる方ではなかった。
よくて週一、忙しければひと月に一度。
多少の距離を置いた方が、恋愛は冷め辛いし盛り上がる。
恋人への礼節として、メールや電話は途絶えさせないように努力はしたけれど、毎日顔が見たいと思うほど焦がれたことは一度もなかった。

「大学時代、100人斬りしたザックスが…まだ手が出せないって、どうしてなの?」
「いや、100人も斬ってねえし。」
「喩えです!」

今でこそ落ち着いてきた方だとは思うけれど、たしかにさんざん女遊びをしてきた過去がある。
気にいった子がいれば、少しの照れもなく口説けるし、なんら迷いなくセックスに誘うことが出来る。
でも、あの子は違う。部屋へ連れ込むのに、やましい下心なんて欠片もない。ただ、彼が寒いと思ったから、だから。



「ザックスよりもその彼氏の方が――その子を、幸せに出来るっていうの?」



「…いや、違う。」
エアリスは一つ年下で、それこそ家族のように、兄妹のように、育てられてきた。
けれど彼女は、妹というよりも姉のような存在だった。母親、という方が近い気がするのだけれど、それはいくらなんでも失礼か。
どちらにせよ、彼女はいつだって、ザックスのことを応援してくれる。
必要な言葉を、欲しい言葉を、与えてくれるのだ。




「俺の方が、大事に出来る。絶対、俺の方がクラウドを幸せに出来る。」








コン、コン、コン…

控え目なノックの音に、ザックスもエアリスも、玄関ドアへと視線を寄こした。
いつも隣から聞こえるけたたましい衝撃音とは全く異なる、遠慮と迷いを含ませたそれ。
まさかと思って、すぐさま扉を開ければ――そこにはいつものように、薄着のままのクラウドが立っていた。
今はまだ昼間だ。いつも締め出される、お決まりの22時ではない。

「クラウド、どうした?」
「……突然、ごめんなさい。あの、あのね、」
「とりあえず部屋にあがって。寒いだろ?」
「………今夜、」
「こんや?」
「今夜、泊めてください。」

何を言われたのか一瞬理解が追い付かず、思わず黙してしまった。
それをクラウドはマイナスに捕らえたのか、その表情に後悔を滲ませる。
「あ、えっと……待って、嫌って言ってんじゃなくて。何かあったのかなって、心配になっただけで、」
「……………誰か、来てるの。」

男独り暮らしの玄関には、似つかわしくない小さなパンプス。
フェミニンなピンク色に、ワンポイントで付いた黒いべロアリボンにミンクのファー、華奢なヒール――
一目で若い女性のものだとわかるそれを目にしたクラウドは、ぴたりと歩みを止めた。
狭い1Kの室内は、奥まで簡単に覗き込める。

「ザックス?もしかしてお客さん…」
いつもクラウドが座って寛いでいるコタツ。彼の定位置だった場所で暖をとっているエアリスが、こちらに声をかけてくる。
部屋の奥にいるエアリスと、玄関にいるクラウドの視線が、しっかりと合ったとき。
やましいことなどないのに、しまったと思った。
エプロン姿で、部屋の中で寛ぐ美女――クラウドが、二人の関係を誤解するのは当然といえた。

「あ、クラウド。あのな?この子、俺の…」
幼馴染で。そう続けたいのに、クラウドは強引にザックスの手を振り払うと玄関を出ていこうとする。
「待って!クラウド、待って!」
「ごめん、俺…っ」
「なんでおまえが謝るんだよ。違うんだ、エアリスはそういうんじゃなくって、」
「聞きたくない!」
隣室への配慮もあってか、それとも性分なのか、いつも物静かに小さな声で喋るクラウドが声を張り上げる。
それをもっと大声で説き伏せたかったけれど、隣の部屋の男に聞こえないかと気がかりで、結局できなかった。
クラウドがこの部屋に出入りしていることが知れれば、彼はもっと酷い暴力を受けるかもしれない。その不安があるからだ。

「クラウド。ちゃんと聞かせて。何があったの?」
「何もない、」
「本当に?」
「…本当に、何もないよ。ただ、ただ……こないだ読んだバイク雑誌の続き、気になって。それで来ただけだから、」
来客中みたいだから出直すね、と。
徐々に冷静になったらしいクラウドは、いつものように静かな口調でそう言うと、
玄関まで出てきたエアリスに対して軽く会釈をした。エアリスも「こんにちは」と穏やかに返す。

「私、もう帰るから。クラウドさん?どうぞあがって。」
「わりい、エアリス…」
「その子とおうちデートしたいって、もうわかりやすいぐらい顔に書いてあるよ。ザックス。」
「だから、ごめんて。」
「そのかわり、今度私にも、クラウドさんとお喋りさせてね。」
エアリスはクラウドを部屋の中へ招こうとするけれど、しかしクラウドはそれを是としなかった。

「いえ…やっぱり、今日は遠慮しておきます。邪魔してごめんなさい。」
「邪魔じゃねえよ!」「邪魔じゃないよ!」
二人が同時に返事をすると、クラウドはふふ、と柔らかく笑った。
日光の下で、彼を見たのは初めてだからだろうか。なんだかやけに、透き通ってしまいそうな――眩しい笑顔だった。
少し嬉しそうで、少し悲しそうな、そんな、





「ザックスの好きなひとが、貴方で良かった。」





玄関のドアをそっと閉めると、そのまま音もなく隣の部屋へと帰っていく。
「……なんか、やっぱり誤解したままじゃない?」
「ザックスのバカ!なんで強引にぶちゅっとしないのよ!このヘタレワンコ!!」
エアリスにスリッパで頭を叩かれながら、ザックスは決意したのだ。
今夜22時、いつものように彼を廊下に迎えにいって――そして、今度はもう、帰さないと。
彼を傷つけるような真似はしないし、あの男よりも彼を幸せにする自信がある。
だからどうか自分を選んでほしいと、告げる。







好きだと、告げる。







―――けれど、彼は22時になっても、現れなかった。







*********




気が狂いそうだ。




ギシッ、ギシッ、ギシギシギシギシギシッ!

相手が女であれば、甲高い喘ぎ声が耳につくはずであるから、今抱かれているのは―――
いったい、何時間過ぎただろう。
テレビや音楽で誤魔化す気にはなれない。仕事も手につかない。外に逃げ出すことも出来ない。
22時を過ぎたあたりから、日付を回り、もう深夜――
隣人の忌まわしい行為は終わることはなく、一度その音が止んでもすぐにまた、繰り返される。

ギシギシギシギシッ!!ギシギシギシギシギシッ!!

あんなに華奢で、儚いクラウドを。彼の体は、大丈夫なのだろうか。
…彼は、この行為を、本当に望んでいるのだろうか。

薄い壁は、隣室の音を嫌でも拾ってしまう。
興奮したせいで感極まった、男の愉悦に満ちた声や唸り声は聞こえるのに、クラウドはいっさい声をあげない。
「気持ちいい」とも言わないし、かといって「嫌だ」という拒絶の言葉もない。
もし、彼が嫌だと言ってくれたら、一言でもザックスに助けを求めてくれたなら、
こんな壁はぶち破ってでも助けにいくのに。―――彼を、奪うことが出来るのに。

ガンッ!!!

ザックスの部屋よりの壁に、大きく何かを打ち付けた音。もしや、クラウド自身の体だろうか。
殴られたのかと、壁に耳をつけるようにして窺うと、隣室からは微かに男の声が聞こえてくる。





本当、お前の穴って最高だわ。愛してるぜ、クラウド。
別れるなんて――もう言うなよ?今度言ったら、ケツ穴から直腸引きずりだしてやるからな
ところでさあ、こないだの金、もうすっちゃったんだよね。足りないんだよ、全然
もう金作れない?だから言ってんだろ、俺がお前のために協力してやるって
今更出来ないなんて無しだぜ。わかってんだろ?お前が金を作る方法なんて――





昼間、クラウドは言っていた。
今夜はザックスの部屋に泊めてほしいと、そう言っていたのだ。
何でもないふりを装っていたけれど、本当はあの時。彼は、ザックスに助けを求めたのではなかったか。
この男から、あるいは、これから起こる何かから――逃げるために。

ぞくり、と背筋が凍った。
それは男の狂気に対してではなく、男に対する自分の狂気に対してだった。
今まで他人に対して、ここまでの憎しみを抱いたことがあっただろうか。
ここまで、いっそ殺してやりたいと思うほどに、憎いと思ったことが、







カン、カン、カン!

深夜だというのに、誰かが錆びた階段をあがってくる。一人じゃない、複数人だ。
そうしてその何者かは、隣の部屋、202号室の玄関扉を開ける。
扉を開けたせいで、廊下にいる男達と、室内の会話がさらによく聞こえるようになる。

「いらっしゃい。さっそくですけど、前払いですよ。」
「ああ、まさかお前ご自慢の、可愛い恋人ちゃんとヤれるなんてなあ。」
「しかしお前も、爽やかなツラしてすげえ鬼畜だな。恋人の体で稼ぐなんてよ、」
「なに言ってるんですか、これは立派なビジネスですよ。」
「ぎゃはは!穴稼ぎってか!」


ドン!!!!!


思い切り、隣室の壁を叩きつけていた。
無意識に、無抑制に殴りつけられたそれはべっこりと凹み、ヒビが入っている。
ザックスの拳もまた、血がにじんでいる。でもそんなことはどうでも良かった。
「なんだぁ…?なんかすげえ音がした…」
男たちが振り向けば、仄暗い廊下に、なんの表情もない男が一人立っている。
「誰だよこいつ、」
「おい、この兄ちゃんもお前の仲間かよ?」
入口近くてザックスに遭遇した三人の中年男達は、部屋の奥にいる隣人へとそう声をかける。
アパートの老灯、その薄明りの中でもザックスのことを視認した例の男は、あ、と小さな叫び声をあげた。

「こ、こんな時間に、何か用で…」
「――部屋、入るよ。」
玄関先でたむろする男たちの前を通り抜け、隣人を突き飛ばすようにのける。
室内に一歩踏み込めば、そこは青臭い臭気とゴミが腐敗したような臭いが充満していた。
そうして、汚い部屋の隅に蹲っている――そこに相応しくない、唯一の美しいもの。
裸に剥かれ、下着だけを足にひっかけた状態で震えているクラウドを見つけた。

「クラウド…、」
「ザ…、ザックス?」
「悪いけど、俺は日を改めるつもりはないよ。一緒においで。」
「まって、」
「待たない。」
「でも、おれ…きたない……っ」
「クラウドが汚いわけねえだろ。」

抱き上げようとすると、後ろから男が攫みかかってくる。
「おいてめえ!こっちが大人しくしてれば、俺のクラウドになにしやが」
ゴキィッ!
「―――たった今から。俺のクラウドだよ。」
少しの躊躇もなく、拳を交わした反動で相手の左頬を思い切り殴りつけると、男の奥歯らしいものが床を転がった。
そうして、ひいひいと情けなく喚き散らしながら、床を這うように後ずさる。
あれだけクラウドに対して、毎晩酷い暴力を繰り返しておきながら、自分はたった一度の殴打で恐怖に慄いている。
真に弱い男だ、と思った。呆れと軽蔑、それに嫌悪に吐き気さえする。

「警察を呼ぶ。悪いけど、おじさん達にも事情を聴かせてもらうことになるよ。」

ザックスのいっそ冷静すぎる言葉に、この宅に訪れたばかりであった男たちは顔を青ざめさせた。
「お、俺たちはただ…出会い系サイトでそいつに、可愛い子いるって紹介してもらっただけで!」
「未成年相手の買春は、立派な犯罪だ。」
「俺は、会社での立場ってもんがある!警察沙汰は困るんだ!!」
「あ!!おまえ、ひとりで逃げんな…っ!!待ってくれ!!!」
中年の男たちは、転がるように脇目もふらず逃げていく。

残されたのは、隣人の男のみ――
ザックスがぎろりと鋭く見下ろせば、これでもかというほど部屋の隅へと這っていき、そして体を縮こませた。
「…法ってのは、時に不自由なもんでさ。」
一歩近づけば、男はひいいいいと奇声をあげる。煩わしいことこの上ない。
「クラウドが望まないなら、アンタを訴えて刑罰を与えることは難しいんだよ。少なくとも、俺が望むような罰ってのはさ。」
「や、やめてくださ…殴らないで、殴らないでください!」
男は涙を流して懇願する。
「大丈夫、もう殴らないよ。」
情けなく、醜く、そして哀れだ。
「もし、今後クラウドに指一本でも触れたら――どうなると思う?殴らないし、訴訟もしないよ。……ただ、」





殺す





その三文字をはっきりと告げれば、男は失禁して気を失った。







**********


カン、カン、カン…

土産のカスタードプリンを崩さぬように慎重に、けれど階段を二段飛ばして駆け上がる。
有名店の季節限定スイーツだけあって、30分も並んでしまった。
ドライアイスを入れてもらっているけれど、待っている人のことを想うと、どうしても気持ちが焦る。

「クラウド!ただいま!!」
「おかえりなさい。」
「おかえりなさーい。」
古びたアパートのドアを開けると、奥の部屋から返ってくるのはふたつの「おかえり」。
そう、そこにはすでに、小さなコタツでぬくぬくと寛いでいる二人組がいた。

「ちょ…エアリス、なんでいるの。」
「なんでって、こないだ言ったじゃない。私もクラウドとお話したいって。」
「いや、それはいいんだけどさ。俺がいるときに来いって言っただろ?」
「だって私、今日有休だったんだもん。」
「まさか昼間からずっといたの?!あのさエアリス。若い男女が部屋に二人っきりって、俺はどうかと思うんだよ…」
コートを脱ぎながら、思わずそう愚痴をこぼすと、何故かクラウドが項垂れた。

「ごめん…俺がドアを開けたんだ。でも俺、エアリスに酷いことなんかしない…」
「あーそれ、違う!全然、俺の心配してることと違う!」
慌てて否定すると、クラウドの背面から無理やりコタツにもぐりこんだ。
「ザックス、ここじゃなくてもコタツ、空いてるよ…?」
「ふふ、ザックス、余裕なさすぎじゃない?」
「笑うなよ、エアリスのせいだろ。」

エアリスは、ザックスの知る限り、この世界で誰よりも素敵な女性だ。
美人で、優しくて、オチャメで、好奇心が人一倍で、行動力もあり、そうして芯の強いひと。
家族同然であるエアリスを女性として見ることはなかったけれど、心から尊敬しているし、愛している。
エアリスが、もしもクラウドを好きになってしまったら――勝ち目なんてあるわけない。
なんて不安は、あまりに格好悪いから、絶対クラウドには言えないけれど。きっと、エアリスにはお見通し。

「クラウド、あのね…」
「あ、おいエアリス!なにクラウドに内緒話してんだよ。仲間ハズレ反対!」
「うるさいなあっ!せっかく、クラウドに教えてあげたのに。」
「なにを!」
「ザックスはね、私にクラウドをとられちゃいそうで、焦ってるだけだよって。」
「なんでばらすわけ!」

あまりに決まりが悪くて、クラウドの旋毛に顔を突っ込んで隠れた。
クラウドはくすぐったいのか、くすくすと笑みながら小さく抵抗する。
「クラウドの髪、めっちゃいい匂い。癒される…」
「ばか、そういう変態っぽいこというなよ。エアリスの前で」
「ずるい、私もクラウドの髪の匂い嗅ぎたい!」
「え、エアリス?!」
ザックスとクラウド、二人にじゃれつかれたクラウドが。今度はあはは、と声に出して笑った。
出逢ってから今日まで、そういえばこの子が「声を出して笑う」なんてこと、無かった気がする。







ザックスが、隣室からクラウドを連れ出して数週間――
傷害罪でも暴行罪でも、男を告訴することは幾らでも可能で、充分な証拠もあったけれど。
けれど結局、クラウドは被害届を出すことはしなかった。
クラウドがそう選択するだろうことを、たぶん、ザックスは知っていた。だから、あの男に警告したのだ。


もし今後、クラウドに近づこうものなら。法で裁かなくても、自分が裁くと。


男はほとんど、部屋には帰っていないようだ。
時折、酒をたらふく飲んで帰ってきて、モノに当たり散らしたり、かつてのように女を抱くこともある。
けれどクラウドに近づく様なことはなく、むしろ一度、アパートの階段でザックスと鉢合わせしたときには
シンデレラのごとく靴を片方脱ぎ捨てて逃げ出していったものだ。
男にとって、ザックスに殴られたことがトラウマになっているようだった。

どのみち、男は家賃を滞納しているらしく――オーナーは今年いっぱいで退去させる予定だと言っていた。
一方でザックスも、ここに留まるのは春までと決めている。
その後は新しい家と新しい事務所で、生活を始める。
そして、そこにはどうしても…一緒に付いてきてほしいひとがいる。

彼の住む部屋が、202号室ではなく201号室になり、今はザックスの庇護下にいるけれど、
だがクラウドはけっして、ザックスの恋人ではない。

隣人か、トモダチか、兄弟のような存在なのか、あるいはシェルターとしての役割なのか。
そのどれだって傍にいてくれるなら今は構わないのだけれど、でも、最後にはやっぱり選ばれたい。
クラウドの、恋人になりたい。
クラウドにとって最後の――恋人になりたいのだ。






*********




「もしもーし?もしもーし?」
「わ、びっくりした。なに?」
「ザックス、鼻の下のばしすぎじゃない?いくらクラウドが可愛いからって。」
「………俺、そんなわかりやすい?」
「うん、すっごくスケベな顔してる。」
「すみません!」
でも、こればかりは、男であればしょうがないだろう――




季節は12月半ば。三人で、買い物をするため街へと出てきた。
これはエアリスとザックスが共謀して企てたことで…実はクラウドには内緒だが、彼に贈る「クリスマスプレゼント」の下見のつもりだったのだ。
なんといっても、二人ともクラウドとの付き合いはまだ短い。彼の好みや欲しいものが全くわからないので、買い物しながら調査しようというわけだ。
街に出るなり、エアリスの提案で、まずは彼女が通っているというヘアサロンに付き合わされた。
なんていうのもきっとエアリスの計画のうちで、彼女のついでと見せかけてさり気なくクラウドにもカットを勧めていた。
二人分の支払いはもちろん、ザックスのカード一括で…まあそれは別に、この二人のためならば全然いいのだけれど。
そうして、少し伸びていたクラウドの髪をカットしてもらったとき、急に道行く誰もが彼を振り返るようになったのだ。

そういえば、ザックスと暮らすようになってから半月――
本来の造形がわからぬほど殴られていた、かつての痣や傷はほとんど消えていた。
長かった前髪がオシャレに切りそろえられると、彼の美しさは一目瞭然。カットした美容師さえも、息を呑むほどである。

そんな美しい変身を磨げたクラウドと手を繋いで、エアリスはご満悦だ。
「クラウド可愛い!」「クラウドかっこいい!」と大好きアピールをしている。
自分も反対側の彼の手をひいてみたいのだけれど、自分だって彼に可愛いとかかっこいいとか褒めてあげたいのだけれど、ここ一番での勇気が出ない。
だって、本当に、ここまでの美人だとは思わなかったのだ。
クラウドのもつ、繊細で、純粋で。けれど素直じゃない不器用さに、どうしようもなく魅かれた。
彼に恋をしたのはその内面で、外見からではない。だからこそ、いろいろ追いつかないのだ。



――クラウドの魅力に、振り回される。



「この可愛さは…さすがに、反則じゃないの。」
「まあもともとザックスは、超がつく面食いだもんね。なんかあの犬も、ザックスにそっくり。」
噴水のある大きな公園で、老夫婦の連れていたゴールデンレトリバーにじゃれつかれて嬉しそうなクラウド。
あれだけ可愛いと犬にさえ好かれてしまうのかと、二人が悶えながら眺めていることをきっと彼は気付いていない。
「エアリスだってそうだろ。おまえ、絶対クラウドのことタイプだろ。」
「…それ、正直に答えていいの?」
「ごめん、やっぱり答えないで。本当に、ごめん。」

ごめん、そう繰り返すことしか出来なかった。
エアリスが、クラウドに魅かれているのは明らかだ。
大好きな幼馴染の想いを、応援できたらいいのに、でもそれだけは決して出来ない。





「あのね、もし、ザックスじゃなかったら―――きっと、譲れなかったと思うよ。」





「エアリス…」
「小さい頃、約束したよね。タンポポの綿毛でリングを作って、私を、お嫁さんにしてくれるって言った。」
「風がふいたら綿毛とんじゃって、大泣きしてたよな。」
「私じゃなくて、ザックスがね。」
「くそ、覚えてたか。」
「でも、綿毛は飛んじゃったけど、あの時の気持ちは変わってない。むしろ、もっともっと、育って、大きくなった。」
「…………うん、俺もそうだ。」
男女の愛じゃないけれど、体の繋がりはないけれど。もっともっと、根深くて、美しく、尊いこの絆。






「ザックスのこと…世界で一番大好きだから、だから、幸せになってほしいの。」






エアリスの言葉に、強く背を押されて――
こちらにかけ寄ってきたクラウドに体当たりするように、この胸に抱き留めた。
そうして、先ほどは出来なかったけれど…今度は思い切って、彼の左手を握りしめる。



「え…ザックス、どうしたの?」
「あのさ、なんだ、なんていうか、その……、」
「ザックス、頑張って。」
「あの、その、だから、俺と、た、タンポポの綿毛みにいかない?」
「タンポポ?」
「え、俺なんて言った?」
「違うでしょザックス!!指輪でしょ!このヘタレワンコ!!」
「………俺、泣いていいよね?」









(2016.12.04 C-brand/ MOCOCO)
後編は確実にいらない、ただのお清めえっちになるかと…_(:3」∠)_


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