ご注意
*「美 女 と 野 獣」 パロディです。が、結局、原作童話は関係ありません。
*本来ペストはノミや血痰から感染するものです。病状・病型含め、全て捏造です。



痛くない、大丈夫だと繰り返しながら、
野獣はやがて、二度と動かなくなりました。

「おおうそつき」となじる少年の瞳から、
大粒の涙が零れ落ちます。

たとえば 愛に形があるのなら、
そんな色や輪郭をしているのでしょう。


Story19.呪いが解かれる



まるで、「後を追うな」と言うかのように。
降り出した雪は勢いを増し、あっという間に彼の足跡を消してしまった。

クラウドはずいぶん長い間、立ち尽くしていた。迷子になった幼子のように。
裏口のドアから声をかけられなければ、おそらくずっとそうしていただろう。
「クラウド…!よかった、帰ってきてくれた…っ!」
「……………ティファ、」
クラウドの胸に飛び込んでくるティファを抱き留めながら、彼が消えていった方をいまだ目で追っていた。
もうそこに、いるわけがないのに。



彼は、クラウドとは生きられないと言ったのだから。



「――クラウド、どうしたの?怪我、してるの…?」
「え?」
「クラウド、泣いてる……」
「ごめん、何でもない。何でもないんだ。」

勝手に零れてくる涙を乱雑に拭うと、ティファの肩を抱いて家の中に入る。
ティファの前で涙を流したことなどなかったから、彼女はとても驚いた顔をしていた。
ティファだけじゃない。母の前でさえも、クラウドは物心ついてからは泣いた記憶がない。
哀しくて泣いたのも、愛しくて泣いたのも、たったひとりの前でだけ――

「ティファは、怪我してないか?…ティファのこと、ちゃんと守れなくてごめん。」
彼女はサンドロによって、服を脱がされて辱められた。
年頃の少女にとって、どれだけ心の傷になったことだろう。
「謝らないで。すごく、恥ずかしかったけど…クラウドは、ちゃんと守ってくれたもん。」
ティファはクラウドを責めることなく、むしろ申し訳なさそうに眉を下げた。

「本当は、私もクラウドのこと守りたかった。…結局、助けを呼びにいくことしか出来なくて。でも、村の人はみんな、出てこなかった。誰も、私たちを助けてくれなかった。」
「俺は男だから、大丈夫だよ。」
「あのひとだけが、声をかけてくれたの。」
「………、」
「黒髪の…背が高いひと。頬に、大きな刺青があった。あのひと―――『ザックス』でしょ?」
名乗らなかったけど、古城で聞いた声と同じだった、とティファは言う。

「最初の印象と全然違った。何があったんだって、駆け寄ってきてくれて。すごく、優しいひとだったね。」

ティファは古字を読むことが出来ないから、ザックスの頬に刻まれた言葉の「意味」を知らない。
もし彼女が、その意味を知ったらどう思うのだろう。ザックスが、身分(テトラ)を持たぬと知ったら。
ティファは、村の人達は、ザックスを差別するのだろうか。

「あのひと、どうしてお城にいたのかな?村の皆に、野獣なんて呼ばれて…普通のひとにしか見えないのに。」
ニブルヘイムの昔話にある『野獣』と、身分制度(テトラム)の法で人権を奪われた『野獣』。
皮肉にもそれが同じ男であることを、クラウドは告げることが出来なかった。

「……それより、ティファ。母さんの様子はどう?」
強引に話を逸らせて、母のことを問う。
もともと体が弱い母は、クラウドのいないひと月ほどの間でさらに体調を悪化させていた。
息子の無事を知り、気持ちは浮上したようだけれど、それでもベッドから起き上がることが出来ていない。
「変わらず…体調が優れないからって、寝室で休んでる。一人にしてほしいって言っていたから、かなり辛いのかもしれないわ。」
このひと月の間、まともに食事を摂れていなかったのだろう。母は、かなり衰弱して痩せていた。

「俺、母さんの様子を見てくる。食べられそうだったら、母さんに何か作ってくれないか?」
城を出るときに、ザックスから譲ってもらった米とチーズがある。
いつかザックスのためにと粥を作ったことを想いだして、迷わずティファに調理を頼んだ。
クラウドが作ろうものならば、貴重な米が台無しになる可能性が高い。
「ふふ、ようやく、私に頼ってくれたね。」
安心したように、ティファは微笑んだ。
「クラウドは、私の前だといつも強くて、かっこよくて…私に弱みを見せないでしょ? 私の前で泣いたこともなかったし、私に甘えたこともない。そういうの、やっぱり、ちょっと寂しかったから。」

ティファはひとつ年下の幼馴染だし、何より女の子だ。甘えるどころか、守ってやらねばならない存在だった。
母は病弱で、また性格もおっとりとしていて。やはり息子である自分がしっかりなくてはと、子供ながらにずっと思ってきた。
たとえば風邪をひいたとき、心細いのだと訴えることが出来るのは、たったひとりだけ――





「…母さん、起きてる?具合はどう?少しでも何か食べて、体力つけないと、」
「入ってこないで!」
寝室のドアをノックしたクラウドに返ってきたのは、あまりに必死な様子の母の声だった。
「母さん?どうしたんだ?!」
制止されたのも忘れて扉を開けば、母はベッドの中で蹲っていた。
クラウドが駆け寄ろうとすると、先ほどよりさらに強い口調で制される。
「近づかないで!!出ていきなさい!!!」

いつも穏やかで優しい母親。それが、まるで人が変わったような怒鳴り声だった。
母の豹変、その理由が思い至らず、クラウドは困惑する。
何か、母を怒らせるようなことをしたのだろうか。

…まさかとは思うけれど。
たとえば、クラウドが身分(テトラ)を持たない友人と一緒にいたから?
(いや――違う、母さんはそういう人じゃない。)
違う、と思いたかった。
母はどれだけ貧しい生活をしていても、もっと恵まれない人に食べ物を分け与えるようなひとだった。
だから、身分のあるなしで誰かを責めるようなこと、
「母さん、もしかして、」
「言うことを聞きなさい!貴方は、今すぐこの家から出ていくの…っ!!」




「もしかして……………………感染、してるのか?」




毛布の隙間から見えた母の腕は―――皮下出血をおこし、黒ずんでいた。





*********


〝接触感染・経口感染で、体内に菌が入ればものの数時間で発症する。〟
〝3日で全身に皮下出血による黒斑が出る。5日で皮膚が死滅する。〟
〝治療をしなければ、96%の確率で7日以内に死に至る―――〟

「どうして…どうして母さんが感染したんだ?!」
クラウドが不在中、村人によって疎まれていたというクラウドの母は、言い換えれば周囲との接触が無かったということだ。
ペスト菌は接触あるいは経口感染。病人と触れ合う機会がないならば、まず感染しないはず。
ベッドのうえ、高熱で悶え苦しむ母を前に、ただただクラウドは混乱した。

「ごめんなさい……クラウド。」
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、それでも息子の前で母は努めて〝普通に〟答えようとする。
「ロックハートさんが、亡くなる前…一度、お見舞いに行ったの…。ティファが、生贄として村を追われて…看病するひとも、誰もいないと聞いて。母さん、どうしても放っておけなくて…………」
村長であったティファの父親、ブライアン=ロックハートが病に感染した際、それまで彼を慕い囲んでいた村人達は皆あっという間に離れていったという。それどころか、彼の娘を生贄として村から追いやった。
同じように最愛のわが子を失った(と思いこんでいた)クラウドの母は、彼を放っておくことが出来なかったのだという。
〝呪いは感染る〟という噂を聞いていても。

「じゃあ…クラウディアさんは、パパから病気が感染ったってこと……?」
「………」
「どうしよう、クラウド。もしクラウディアさんが、パパみたいに……っ!」
―――死んでしまったら。
最後まで言葉にしなくても、その最悪の未来を同じように想像したクラウドは、絶望した。
だって、この病は助からない。96%、つまりはほぼ確実に死に至るということだ。

泣き崩れるティファと、黒斑が顔にまで広がり惨たらしい様の母を前に、クラウドはなんとか両足を踏ん張り立ち続けた。
二人を守るのは、息子であり、男である自分だ。泣いてはいけない。狼狽えてはいけない。
強くあろうとする心とは裏腹に、身体はガクガクと震えだす。それをどうにか隠して、ティファの肩を叩いた。
「ティファは、母さんの部屋から出ていって。俺が母さんの看病をするから。」
「でも……、」
「大丈夫、だから。」
何も大丈夫じゃない。
けれどそう言うしかなくて、ティファの背を強く押しやり、部屋から出ていくようにと促す。

「クラ、ウド……あなたも、出ていきなさい………。この病気は、たすからない、ものなのでしょう?」
「……そうと決まったわけじゃないよ。母さん、寒くない?何か食べたいものは?汗をかいているなら着替えようか、」
母の不安を取り除こうとするけれど、不自然な声色になってしまう。
「寒くないし、食べたいものはないわ。着替えも必要ない。…ただ、母さんの願いは、貴方に生きてもらうこと――。 だから、お願いだから。貴方は母さんを置いて、この家を出ていくの。母さんが死んだ頃に、戻ってくればいいわ。」
「馬鹿なことをいうな!」
いつだって大人しい子供だったから。母親に声を荒げたのは、たぶん初めてだったと思う。

「馬鹿なこと、なんかじゃない…。貴方はまだ、16歳なのよ。生きていかなければいけないの。」
「俺は母さんを見殺しになんかしない!」
病気になった母を置いて、自分だけ逃げ出すぐらいなら。いっそ自分も感染したって構わない。
「ねえ、クラウド。貴方まで病気になってしまったら…ティファはどうなるの?貴方は、あの子よりお兄さんなのよ。」
「……それは………、」
「いいこと、クラウド。もし、母さんの体に指一本でも触れるようなことがあれば、私は貴方を許さない。――絶対に、許さないわ。」
「かあさん………っ、」
「出ていきなさい。」

自分に触れるなという母はあまりに頑なで、クラウドは寝室から追い出されてしまう。
本当は言葉を交わすのも辛いだろうに、いつも通りを装おうとする母は、とても痛々しかった。
(何も、出来ない……)
大事な人が苦しんでいるのに、自分は何もしてあげることが出来ない。
病を治してあげるどころか、着替えを手伝ってやることも、手を握ってやることさえ出来ないなんて――
自分の無力さに絶望して、視界がぐらつく。

「クラウド……、大丈夫?」
部屋の前にずっといたらしいティファは、よろけたクラウドの体を支えてくれようとする。
けれど彼女の体はクラウドよりも小さくて、この身体を預ける気にはなれなかった。
彼女が差し伸べた手を、大丈夫だと言って断る。
今、クラウドを巣食う不安や悲しみを、ティファに背負わせたくないのだ。

「大丈夫。…もしかしたら、薬草で治るかもしれないし。調べてみるよ。」
もともとクラウドは、村の図書館での仕事のほか、独学で学んだ薬草や生薬を売って生計をたてていた。
けれど、ザックスの城であらゆる文献を読んだからわかる。
薬草で期待できるのは、あくまで免疫力強化、体質改善、もしくは症状緩和程度の効能だ。
この伝染病を治すことは、絶対に出来ない。
それでも、無力な自分を認めるのが嫌で、母の不幸を受け入れられなくて。自室の本棚から薬草学の著書を引っ張り出す。

少しでもいい、母の苦しみを和らげることが出来たなら――

数時間、薬草について調べたけれど、当然実のある答えはない。
気付けば夜も明けていて、朝食を作ってくれたというティファに促され、居間で雑炊を口にする。
母にも何か食べさせなければと、クラウドが彼女の寝室をそっと覗くと、

「母さん?!どこだ?!」
――ベッドがもぬけの殻だった。

母はもう、歩けるような状態ではなかったのに。
玄関の鍵が外れていることに気付いて、慌てて外へと飛び出ていく。
雪の上に残された、母のものと思われる小さな足跡――

無我夢中で、その足跡を追いかける。
けれど無情にも、降り積もっていく雪。あっという間に足跡は薄くなっていく。
気持ちが競って、転がるように雪のうえを走る。
後ろからティファも追いかけてくるが、クラウドの本気の脚力にはとうてい付いて来られない。

村の中心にある、給水塔の広場を通り抜けたとき。
ふと何かが、視界の隅に映った気がして、雪に足を捕らわれてしまう。
柔い雪の中に、勢いよく倒れこんだ。






「大丈夫か?怪我、してない?」
「え、」
「おまえ、裸足だぞ。何考えてるんだよ。」
「――――――ザッ、」
クラウドのよく知る、優しい声。
顔を上げれば、そこには黒いマントを羽織った男が…呆れたような、困ったような表情をしてこちらを覗き込んでくる。

「ザックス!!!」
彼に飛び掛かるように起き上がると、そのまま二人、また雪のなかへ倒れこんだ。
思い切り尻もちをついたザックスは、けれどクラウドの体をしっかりと抱き留めてくれている。
「誰が見てるかわからないから」と前置きした男は、身を隠すようにマントを目深にかぶり直した。
けれど、黒い布の隙間から、ザックスの優しい眼差しと目が合って。

「……で、なんで泣いてる?どっか痛いのか?」
「ザックス、俺…、」
「うん、」
「どうしたらいいか、わからないんだ……。」
ティファや母の前では、あれほど泣くものかと耐えていたはずなのに。
男が弱音など言うものかと、ずっと踏ん張っていたのに。

ぼろぼろと、自然に溢れてきてしまう涙と、本音。

「かあさんが、病気になって………、肌が、黒くなって、別人みたいで…、でも、触っちゃだめだって、手を握ることも、できなくて…っ!」
クラウドの止まらない涙を、ザックスは、指の腹で何度も拭っていく。
「かあさんに、家から出ていけって、言われたけど。俺、出ていかなかった…そうしたら、かあさんが、いなくなっちゃって………、みつから、ない…っ」
母はおそらく、村から出ていくつもりなのだ。そして独りで死のうとしている。


他でもない、クラウドを生かすために。


「そうか―――ひとりで耐えてたのか。辛かったな、クラウド。」
温かい、大きな手のひらで、頭を撫でられ。もう我慢なんか出来なくて、ザックスの胸に顔を押し付けて泣き縋った。
子供みたいに、声をあげて。


ザックスが目の前にいるともう、独りで立つことさえ出来ない。彼に身体を、弱いこの心を、預けてしまう――


「…もう、大丈夫だ。俺が母ちゃんを見つけてくるから。」
「ざっくす、が………?」
「俺を信じて。」
ザックスは立ち上がると、短く呪文を詠唱する。
するとクラウドの足もとが淡く光り、あっという間に両足は温かい靴に包まれていた。ザックスのはめていたはずの手袋が消えている。

「おまえは家に戻って、足をあっためること!」
「でも、」
「大丈夫だよ、クラウド。…俺がおまえの涙を止めてやる。」
そう言われた瞬間、涙がぴたりと止まった、気がした。
ザックスの言葉は、指先は、眼差しは、体温は――とても不思議な力がある。
それは癒しの魔法のように、クラウドをひどく柔い何かで包み込み、不安や悲しみを攫っていくのだ。




「言っただろ?おまえを泣かすぐらいなら、俺は死んだ方がいいって。」






*******


ザックスは、クラウドの母をひとりで追って行った。
彼に言われた通り、クラウドは後から追いついたティファとともに自宅へと戻る。
本当はザックスのことを追いかけたかったけれど、自分を信じろという彼の言葉に従わざるをえなかった。



母が家に戻ってきたのは――ほんの数十分後だった。
「クラウド…それにティファ。心配かけて、辛い思いさせてごめんなさい。」
そう申し訳なさそうに謝罪する母は無事で、ちゃんと呼吸をしていて、意識がはっきりとしている。
なんと両足でしっかりと立ち、自分自身の脚で戻ってきたのだ。
しかも、それだけじゃない。

「母さん…その顔、どうしたんだ…?!」
顔中に広がっていた黒斑が、全て無くなっているのだ。
美しい白肌には薄っすらと赤味がさして、以前よりもいっそ元気なようにさえ思える。

「…よくわからないの。村を出ようと思ったのだけれど、途中で力つきて、村の外れで倒れこんでしまって…。 気付いたら、知らない男の子に手を握られていたの。その手の平に包まれていると、不思議なぐらい温かくて、心地よくて。 あっという間に肌の色も戻ったのよ。」
「じゃあ、ザックスが―――」
まさか。ザックスの『魔法』が、母を治したということだろうか?
クラウドは例外だが、人間にはもう、彼は『癒しの魔法』を使えないのではなかったか。


それはつまり、ザックスがひとを許したということ――


「私の顔を見て、クラウドにそっくりですね、って笑っていたわ。もしかして、あの子が貴方を助けてくれたっていう、」
「ザックス、だよ。」
「そう、ザックスさんっていうのね。お礼をしたいからって、呼び止めたのだけど。 誰が見ているかわからないからって、断られてしまったの。あの子は……身分(テトラ)を持たないのね。」
「………ザックスは、世界で一番、優しいひとなんだ。」
身分(テトラ)などもたなくても。人間でないと言われても。
クラウドの知る限り、誰よりも優しくて、泣き虫で、愛情深い、とてもとても人間らしいひと。

「今度お友達に会ったら、家にあがってもらいなさい。たいしたおもてなしも出来ないけれど……ちゃんとお礼を言いたいわ。」
クラウドの想いを理解してくれた母は、息子をぎゅうと抱きしめる。
命を救われたことも、とても大きなことだけれど。
母親にとっては、二度と触れることは出来ないと思っていた愛息子を、思い切り抱きしめることが出来るのだから――ザックスという青年には、感謝してもしきれない。






〝俺も、今なら出来ると思うんだ。……手を握ってあげるとかさ。〟
〝おまえが、俺の呪いを解いてくれた。昔話みたいに。〟





*******



ザックスはもう、クラウドの前に姿を現すことはなかった。



三日たち、四日たち…その後、村で死人が出ることはない―――病に臥せっていた人々は皆快復していった。
死者は24人、傷ましい犠牲に村は哀しみに包まれたが、少しずつ、日常は戻ってくる。
商店には野菜が並び、牛飼いは家畜の乳を搾り、一家の主は屋根から雪落としをする。そんな、退屈で平凡だけれど、穏やかな日常。

病気が村から無くなった以上、クラウドとティファはその帰郷を咎められることもない。
クラウドの説明する病原や病名に理解を示すものは少ないが、それでも耳を傾けてくれるひとはいた。
また、若い二人が戻ってきたことを純粋に喜んでくれる人もいたし、二人には申し訳ないことをしてしまった、と謝罪する人もいた。
母はすっかり元気になり、かつてのように台所に立つようになった。
ティファとは、以前にも増して親しくなったし、まるで実の兄妹のような絆がある。
――クラウドにとって、細やかな幸せを紡いでいくような、そんな日常が戻りつつあった。



けれど、この村にはザックスがいない。



穏やかで平和な毎日、それはきっと、とても恵まれたことだ。
でも、どれだけ苦しくても、痛くても、大事なひとを裏切ってでも、ザックスのもとへ行きたかった。
箱庭のような四角い空間から一生出られなくたって構わない。一生、太陽の光を見られなくても構わない。
ザックスが、独りぼっちにならずにすむのなら。

(一週間後。村のひとたちの葬儀が落ち着いたら…村を出よう。)

母とティファを愛している。何にも代えがたいほどに。
けれど、それ以上に、ザックスを愛しているから。
家族と離別し、身分(テトラ)を捨てて、村を出る―――そう、決めたのだ。







**********


病から助かった人々はみな、口をそろえて言った。
黒衣を纏った〝魔法使いさま〟が救ってくださったのだ、と。
蒼い目の魔法使いに、「手を握られる」と不思議な光に全身が包まれて、あっという間に快復したのだと。

あれはそう――まさに〝奇跡〟だったと。

本来、魔法とはけっして奇跡などではない。
マテリア石が持つ物質エネルギーを、難解な呪文と精密な魔法円を媒介に放出する。
それは先人の知恵の結晶であり、長い年月をかけて研究が重ねられた化学技術のひとつなのだ。
「本当の奇跡」は、魔法自体ではないことを、そのとき人々は誰も知らなかった。












ちょうど七日後の朝。活気が徐々に戻ってきた、村の路地裏で。
全身の皮膚を黒く変色させ、もう動くことのない一人のみすぼらしい男が発見されるまでは――
奇跡の本当の意味を、その代償を…クラウドでさえも、知ることはなかったのだ。









愛しい、俺の野獣――


本当の奇跡は、魔法じゃない。
伝染病に侵されたひとの手を握った、
貴方の優しさのことだったんだ。

呪いなんて、解かなければ良かった。








私は貝になりたい
(2018.02.25 C-brand/ MOCOCO)


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