最後の言葉は、サヨウナラ、だった。
(本当は、アイシテルって、言いたかったよ。)
「――なあ、クラウド。俺、ミッドガルに、行かなくちゃ。」
そうクラウドの肩を強く抱いて、彼はまた歩き出す。
携帯電話を胸ポケットにしまう直前、彼は確かに、こう言った。
―――アイシテル≠ニ。
いつもザックスが、楽しそうに電話をしている恋人に。
自分ではない、他の誰かに。
自由の利かない体を、放り出すように。ただザックスに身を任せながら、ひたすら祈った。
どうか、自分を置いていってくれますように。
そのとき、ザックスが罪の意識などに囚われませんように。
ザックスが、その電話の相手と、いつまでも幸せでいられますよう―――
生きて、くれますよう。
何も持たない自分だから。
彼のために出来ることは、ただ、祈ることだけだった。
クラウドとザックスは、5年もの間、神羅における薬物実験の被験体として生かされていた。
人間としての尊厳も無視されて、まるで実験用マウスのように。
ビーカーの中に監禁され、緑色の生温かい魔光につかって。
無駄に、年月だけを重ねた。
クラウドは、ただ彼を見ていた。ザックスもまた、自分を見ていた。
監禁され3年が経った頃には――クラウドはもう、まともに体も動かせず、うまく喋ることもできなくなった。
ザックスと違い魔光耐性のないクラウドは、体も精神も、その負荷に耐え切れず蝕まれていく。
いわゆる、魔光中毒だ。
隣のビーカーにいるザックスは、そんな自分に幾度となく話しかけてくる。
毎日、毎日。だけど。
(ごめん、ザックス。聞こえないよ。)
ガラスごしだから、彼の口にする言葉は…いっさい、聞こえなかった。
それでもクラウドには。
彼が何を話しているのか、容易に想像ができたのだ。
だって彼は、親友だったから。
ザックスにとってそうでなくても、自分にとって彼は唯一のトモダチ≠ナ。
こんなとき、彼が何を思って、何を話すのか…それは手に取るようにわかる。
ずっと彼だけを見て、生きてきたのだ。そしてきっと、
(このまま…アンタだけを見て死ぬんだ。)
クラウドは、想像する。
彼のことだ、きっと「大丈夫か、調子は悪くないか」と言っているのだろうか。
もしくは「安心しろ、俺がなんとかしてやるから」とか。
そしてときどき、全く関係ないことを口にして、クラウドを笑わせようとしているのかもしれない。
たとえば、「あの研究員のチャック全開だったな。情けない!」などと冗談を言って。
ザックスが自分に向かって、いつも何を喋りかけているのか。
それを想像するのは、とても楽しくて、楽しくて。
――そして、ひどく切なかった。
(アンタの声が、聞きたいよ…)
驚くべきことに、ザックスから笑顔が消えることはなかった。
この非人道的な実験のサンプルとして生かされていてもなお――その明朗快活な性格は変わらない。
まるでその境遇に悲観しているとは、到底思えない。
ビーカーの中にいても、彼は彼らしく、いつでもマイペースだった。
飽きもせず、毎日クラウドに向かって何か話し続ける。
研究員を相手にしていても。ときおり笑顔を見せたり、軽く会話をしたりもした。(とくに研究員が女性のときは)
クラウドは、隣のビーカーの中で、想像する。
きっと今、彼らはこんな会話をしているのだと。
「ここから出してくれたらさ、お姉さんをデートに連れてくよ。」
「これも仕事なのよ。ごめんなさいね。」
女好きな彼のことだ、こんな状況でさえも、冗談で女性を口説いたりするのだろう。
そんなザックスだから、研究員たちも彼の実験には、手を煩わせることはなかった。
ザックスは基本的に、抵抗らしい抵抗をしない。
まるで、全て受け入れるとでも言うように。
研究員に促されるまま、寝台に横になって。薬物の投与に関しても、目を閉じて頷いた。
そしてその「実験」が終了したとき、ザックスは決まって、クラウドの方を向いて笑う。
薬物によるものか、足元がおぼつかない。
息をきらして肩が震え…あまりに、苦しそうだったけれど。
――どーってことないよ。だから、そんな顔すんな。
そう、まるでクラウドに伝えるように、にっこりと笑う。
(どうってことないわけ、ない。)
ザックスは、その魔光耐性の強さから、クラウドの数倍の濃度の魔光を体内に注入されていた。
投薬後は、体中の血管が浮き出て、目も血走り。その苦痛のほどは、明白だった。
…全身に、凄まじい痛みが走っているに違いない。
クラウドだって、身をもって知っている。
体内に魔光を注入されることは、体に異常な負担を伴うのだ。
ひどい吐き気、眩暈。体中の血管がちぎれるような、痛み。
そして心が支配されるような、自分を失う感覚。
それは発狂したくなるほどの、恐怖――…
何があっても、どんな状態にあっても――あっけらかんとして、動じないザックスだが。
ひとつだけ、研究員の手に負えないことがあった。
それは――クラウドが、実験の対象とされるとき。
クラウドが寝台に寝かされると、ザックスはそれまでの温厚な振る舞いが嘘のように、暴れた。
ビーカーのガラスを必死で内側から叩いて、何かを必死で叫んでいる。
何を叫んでいるのか、クラウドや研究員達には聞こえなかったけれど。
……それは間違いなく、クラウドにとって、悲しすぎる叫びなのだろう。
ザックスのガラスを叩く拳は、皮膚が破れ、血に塗れていた。
そんな風に、暴れなくって、いい。
そんな風に苦しまなくたって、いいのだ。
(大丈夫、だよ。)
そう、ザックスを真似て、クラウドも笑って見る。
久しぶりの笑顔は、あまりに、ぎこちなかったかもしれないけれど。
それでも、ザックスを安心させてやりたくて、精一杯、笑ってみせた。
…………そうして目があった彼は。泣いていた。
本当は、わかっていた。
ザックスが、なぜ毎日笑っているのか。
なぜ、どんなチャンスがあろうとも、一人で逃げることはなかったのか。
――ザックス一人でなら、たしかに逃げることはできたはずなのだ。
弱いクラウドを、置いていけなかったのだ。
生きることを、諦めて。ここで死ぬことをイメージしているトモダチを、置いていけないのだ。
来る日も来る日も、楽しそうにクラウドに話しかけて…なんとか、生かそうとしてくれているのだ。
彼を引き止めているのは、自分なのだ。だから――
『ここから、逃げよう』
そう、クラウドが誘ったのは。生への執着からではない。
「一人で逃げろ」と。
そう言ったところで、優しい彼は、その頼みを聞いてくれないだろうから。
(…アンタを、自由にしてあげたい。)
明らかに、体は魔光に侵されている。意識すらも、最近はあまり保っていられない。
彼に比べて、自分はあまりに弱い存在だった。
そうと知っていたけれど、それでも――
彼を守りたかった。守られるのでなく、守ってあげたかったのだ。
彼の尊い「命」を。
(弱いくせにって、笑われるかな?)
力の入らないその手で。必死でガラスに爪をたて、文字を綴りはじめると。
それを見たザックスは、一瞬目を見開き、そして眉を下げて泣きそうな顔になる。
クラウドが、何を書くつもりなのか――
まさか死にたい≠ネどと書きはしないだろうかと。
そんな彼の不安が、わかり易いぐらいに顔に出ていた。
クラウドの言わんとしてることを理解したとき、ザックスは胸をなでおろす。
そして、慈しむように…
何度も何度も、その文字を指でなぞり、優しく撫でていた。
クラウドがの意識が、また朦朧としてくる。ここ最近は、意識がすぐにとんでしまう。
もう少しだけ、彼の長くて綺麗な指先を見ていたいのに――
気を失う寸前、ザックスの書いた文字が目に入る。
『飯の時間がチャンスだ』
その文字の向こうで、ザックスはいつものからりとした笑顔で、笑っていた。
(ここから出たら、死のう。)
ザックスが目を離したすきに、崖から飛び降りればいい。
何か適当なナイフなどで、頚動脈を切断するのもいいかもしれない。…きっと一瞬だ。
そう考えると、ひどく心が弾む。
自分の手で、彼を自由にできるかもしれないと――後ろ暗い喜びを感じた。
…たったひとつでいい。
たったひとつだけで、いいのだ。
彼のために、できることがあるというのなら。
――なあ、ザックス。
何も持たない自分だけど。祈ることなら、きっと誰にも負けやしない。
だから、お願い…幸せになって。
俺を、見捨てて。
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