この世界の果てで、キミと僕、二人ぼっち。
(それはなんて幸せな、孤独。)
「好きな子が、いるんだ。」
(知ってるよ。)
「すっげー可愛いの。笑うと、白い花みたいでさぁ。」
(俺は、黄色の花のほうが好きだけど。ヒマワリって、言ったかな…まるで、アンタみたいな花。)
「そうそう、ユリ!白ユリってかんじ。抱き締めると、あの子ほんとにユリみたいな匂いするんだぜ。」
(それってつまり、もう抱いたんだ……。)
二人、いろんな話をした。
――正確には、ザックスが一人で、話をしていた。クラウドはただ、聞いているだけ。
気の利いた返事ができないのは、生まれつきだけれど。
うん≠ニかそれで?≠ニか。そんな最低限の相槌すら打てない自分が、心底憎い。
ずっとずっと聞きたかった、ザックスの声が、やっと聞けたというのに。
「う…あ…」
何でもいい。一言でもザックスに言葉を返したくて、搾り出すように声を出すけれど。
出てくる言葉は、言葉としてなりたたない。ただの、呻き声。
伝えたいことが、たくさんあった。
どうしても、伝えなくてはいけないことが。
「本当は、ずっと大好きだったよ。」そんな愛の言葉。
「連れ出してくれて、ありがとう。」そんな感謝の言葉。
そして、何より。
「さようなら」という別れの言葉―――
ザックスが、研究員を殺した。
ザックスが以前クラウドに伝えた言葉どおり、それは「エサの時間」に実行された。
彼のビーカーを開けたのは、若い男の研究員だった。
これまでいっさい抵抗をしなかったザックスに、油断していたのか。
――いや、もしかしたら。彼の人柄に、心を許していたのかもしれない。
開いたビーカーから突然飛び出してきたザックスが、その男の首を腕で圧迫し、あっけなく死んだ。
それを見ていた女の研究員が、悲鳴をあげるより先に。
その女性の研究員すら、ザックスは何の躊躇いもなく殴りつけた。
生きているのか、死んだのかはわからない。
どちらにせよ、クラウドにはその光景が現実だとは、到底思えなかった。
相手は戦闘員ではない。
若い男の研究員は、痩せていて生真面目そうな男だった。
女性の研究員は、温厚そうな美人で、ザックスとよく雑談をしていた相手だ。
ザックスの性格は、クラウドが一番よく知っている。
彼には、誰にも負けない「優しさ」という倫理観と、正義があった。
生きるか死ぬかの戦場において。
たとえ命令違反になろうとも、女子どもや武器を持たない者の命は絶対に奪わなかったし、
敵兵であっても、できる限り命を奪わないように戦ってきた。
およそ「人間兵器」と呼ばれるソルジャーらしくない――けれど、ザックスらしい。
どんなに力があったって…きっと、この世で一番、優しい男。
そのザックスが――まさか、戦場以外の場で、人を殺めるだなんて。
倒れている女性研究員を振り返ることなく、ザックスはクラウドのビーカーへと駆け寄る。
そして外側から、そのビーカーをソードで一気に叩き割り――
魔洸と一緒になだれこんでくるクラウドの体を、まるで全身で抱き締めるように受け止めた。
魔洸中毒に犯されているクラウドは、体に力が入らない。
ザックスを、抱き締め返したいのに、腕が上がらない。
ただ、ザックスに体を預けているだけ。
せっかく、触れるのに。
「クラウド、もう、大丈夫だから。」
せっかく、声が聞けたのに。
ずっと、夢を見ていた。この実験室にいた5年の月日だけではない。
―――本当は、もっと前から。
一度でいいから、ザックスを抱き締めたかった。
叶わなくてもいいから、伝えたい想いがあった。
それはたぶん、愛しているとか好きですとか、ありがとうとか、そんな言葉じゃ足りないけれど。
せめて。
貴方と出会えて幸せです、と。彼にそう一言、ずっと伝えたかったのだ。
どうして、元気だったときに。そう――彼に伝えなかったのだろう。
トモダチだ、大事だと言ってくれる、彼の言葉に甘えてばかりで…
自分は何一つ、返せなかった。何一つ、努力なんてしなかった。
こんな風に、指一本動かせなくなってから気付いても、もう遅い。
それが悔しくて悔しくて――体が、震える。
「恐かったよな、もう大丈夫、大丈夫だから。」
ザックスはクラウドの肩口に顔を埋めて、強く強く抱き締めてくる。
震えているのは。もしかしたら、ザックスも同じだったかもしれない。
――この5年間、本当に恐かったのは、ザックスの方かもしれない。
日ごと、人形のように無反応になっていくクラウドを相手に、どれほどの不安を抱えていたのだろう。
確実に近づく友人の死を、どんな気持ちで見ていたのか。
この先待っているだろう孤独を、どんな気持ちで。
ザックスに、体を抱えられ、研究室を出る。
その瞬間、床に倒れていた女性研究員の瞼がが、ほんの少しだけ、開いた。
――死んではいなかったのだ。意識は朦朧としているようだが、たしかに生きている。
彼女とクラウドの視線が――交わった気がして。
ゴメンナサイ
唇の動きだけで、クラウドは彼女に謝罪した。
(ザックスは、悪くないんだ。だから許してあげて。)
そう――ザックスが、こうして人を傷つけたのは。
全て全て、自分のせいなのだと、クラウドは知っている。
クラウドを生かすために、人を傷つけ、その手を汚してくれたのだ。
こ こ か ら 逃 げ よ う
―――その二人の約束を、叶えてくれるために。自分は、ザックスに「全て」を捨てさせた。
善意だとか、誇りだとか…クラウドがずっと憧れていた、彼の持つ全てのものを。
彼を汚したのは、他でもない自分だ。
許されないのは、自分なのだ。
だからどうか。
彼だけは、許してほしい。
この先に罰が待っているのなら、痛みを受けるのは、全て自分であってほしい。
(お願いします。)
(神様。)
魔洸中毒のクラウドは、意識は途切れ途切れではあったけれど、それでも自我が存在していた。
肉体はいっこうに動かせない、言葉も紡げない。
意識はある分、それはもどかしく、情けなかった。
ザックスに何ひとつ反応を返せない自分が、彼の「足手まとい」でしかない自分が、ひどく疎ましかった。
ザックスは、クラウドの意識があることを、知らないようだった。
体だけじゃない、視線すらも、まともに動かすことができないのだから…当然だ。
それでも、ビーカーの中にいたときのように、彼はくったくなく話しかけてくる。
まるで、クラウドと話しているかのように。同室で過ごした、親友同士の語らいのように。
「クラウド、寒くない?これ、ちょっと臭うんだけどさ、一緒にかぶって寝ようぜ。」
「でもオマエ、いい匂いすんなーなんでだ?あ、怒った?女扱いすんなって?そんな顔すんなよー。」
「ほらクラウド!これ、バノーラのリンゴ。ウサギさんに剥いてやったぞ!」
一本しかないサバイバルナイフで、器用にウサギの形に剥いたリンゴをクラウドに見せる。
(ほんとにアンタ、めでたいな。)
二人が神羅屋敷から逃げ出して、半年。
こんな状況下でも、ザックスは相も変わらず明るい。
食うものもろくになく、わずかな果物と野ウサギ、そして水ばかりの生活。
それなのに、まるでハイキングでもしているかのように、綺麗に剥いたりんごをクラウドに食べさせる。
もちろんそのままでは大きいから、ザックスが咀嚼したのを口移しで。
クラウドは、痩せた。でも、ザックスはもっと痩せた。
わずかな食べ物さえも、ザックスはそのほとんどをクラウドに食べさせようとする。
(ザックスが食べて…)
そう伝えることもできない。だから拒否をするように、何とか口を閉じる。
「好き嫌いすんなよーそれとも、俺の口移し、気持ち悪い?」
悪戯っぽく笑って。
「小さい頃は、パパの噛んだご飯食べたんだぞー」
とかなんとか。つまらない冗談まで言っている。
どうして、こんなに優しいのだろう。
どうして、こんなに悲しいのだろう。
真夜中、クラウドは目が覚めた。
といっても、体が動くわけではない。意識が、戻っているだけだ。
クラウドは、ザックスの腕によって後ろから抱きしめられるように、眠っていたらしい。
すぐ後ろに感じるザックスの寝息――ザックスの匂い、ザックスの体温。
…思い返してみれば。
こんな距離で過ごすなど、以前の自分たちではありえなかった。
こんな風に全てを失うようになってから、ある意味で、彼の全てを手に入れたのかもしれない。
月が、高い位置にある。
目の前には―その月明かりの下、どこまでも広がる、黄色の花。
ヒマワリ畑だった。
ここはいったい、どこなのだろう。
ザックスに抱えられて、ずっとここまでやってきたから、世界のどこにいるのかクラウドにはわからなかった。
わからないけれど、ここには二人以外、誰もいない。
きっと、人の住む土地から離れた、世界の端っこなのだろう。
誰も知らない、二人だけの世界。
二人のためだけに咲いているかのような、黄色の花。
夜の闇にも融けることはない。その空高く咲き誇るヒマワリの群集は、灯火のようだと思った。
まるで、未来へと続く…光の道しるべのようだ。
まるで、ザックスのよう。
この花に囲まれて、この人に抱きよせられて。
死ぬなら、ここがいい。この腕の中がいいと思った。
そのとき。クラウドの手元にあるものを、認識した。
――サバイバルナイフだ。
なんという偶然か。
ザックスの腰にかかっているサバイバルナイフは、クラウドのすぐ手元にあったのだ。
ザックスを、自由にしてあげたい。
ザックスを、守りたい。
だから。
全神経を集中させて、指を動かそうと努力する。
今しか、ない。ザックスが眠っていること自体、稀なのだ。
このチャンスを逃したら、彼が自分を見捨てることができなくなる。
(死にたい。)
死にたい、死にたい、死にたい、死にたい――――ただひたすら、彼のために。
夢中で、右手に力を籠める。
ず…
クラウドの気力が勝ったのか、これまで一向に動かなかった右手が、かろうじて動いた。
油汗が吹き出る。あと少し、あと少しだ。
そのナイフを精一杯、握る。
あとは、ただ自分の首めがけて―――
ガシャン!!
(あ!)
「ふざけんな!!」
手に持っていたナイフは、遠くに弾かれ。
夜の静寂の中を、男の怒鳴り声が大きく響き渡った。
――ザックスに、見つかってしまったのだ。
「今、何しようとした?!おい、クラウド!」
肩を強く、揺す振られる。でもクラウドは、ザックスの顔を見ない。
クラウドの視線の先には、転がったナイフ――
もう一度、あのナイフで。自分は、終わらせなくてはならないのだから。
「クラウド!俺を見ろ!俺の言ってること、わかってんだろ?!」
わかっている。体は動かせないけど、言葉は紡げないけれど。ちゃんと、わかっている。
「俺の気持ち、わかってんだろ?!」
わかっている。ザックスには大切な人がいて、その人のために、彼は生きなけらばならない。
彼の帰りを、今も待つ人がいるのに…
そのための大きな障害を、彼は切り捨てられないでいる。
そんな風に――彼がいっそ愚かなぐらい、優しい人だということ。
全部全部、わかっているのだ。
「わかってるなら…!」
わかっているから―――
「俺を独りにすんなよ!!!」
そう言って、何もかも壊れてしまいそうなぐらい、強く抱きしめられた。
心も、体も、死への覚悟も。彼を助けるといった決意さえも、粉々に崩壊してしまいそうな――
「なあ、頼むから…」
初めて聞いた、親友の弱音は。
痛いぐらい胸を締め付け、痺れる様に脳内に響いた。
それはまるで、愛の言葉にも似た、
「…俺を、独りにしないで……!」
――なあ、ザックス。
あのとき、手を離せばよかったね。
そんな資格あるわけないのに、
どうして離れることができなかったんだろう。
あの、世界の最果てで。二人抱き締めあったまま。
このままいっそ一緒に逝けたらいいのにって、
思ってはいけないことを思ったんだよ。
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