もしも、僕らが独りだったなら。
生きるも死ぬも、自由だったはずなのに。
(お互いが枷で…そして、糧だった。)
――雨音が、耳鳴りみたいに。止まらない。
ザックスの携帯電話が、使えなくなった。
それでも、それは彼の胸元のポケットに、大切そうに入れられたままだった。
…一度泣いた、あのときから。
もうザックスの涙は見ていない。いつもの笑顔で、笑ってくれる。
「ミッドガルについたら、オマエどうする?」
ミッドガルへ行こうという彼の意志は、変わらない。
「冗談だよ。オマエを、放り出したりはしないよ。」
だけど、このときには。
「――トモダチ、だろ?」
もうすでに、彼の中で戦いの終着点が見えていたような気がする。
旅の終わりが。
二人の別離が。
死の、予感が――
どうしてだろう。
ザックスの瞳の奥に、これまでと違う色が宿ったのをクラウドは感じていた。
「あの子、好きな人ができたんだってさ。」
何てことのないように、笑いながら、その事実を口にするザックス。
(ザックスを…見捨てるなんて、)
それは、あまりに信じがたいことだ。
「幸せに、暮らしてるんだって。子どもも、いるって。」
彼女が、ザックスを見捨てるなんて。こんなに優しい人を、愛さないなんて。
「だけど、俺を選んでくれなくも、いいんだ。…偽善とかじゃなくて。」
それは、自分の抱く想いと、あまりに酷似したキモチ。
とても悲しくて、悲しい――悲しい、愛し方。
そして、それは。
(まるで…)
まるで――生への執着が、ない?
けれどそれは、投げやりだとか諦めだとかではなくて。
自分のきたるべき未来を、受け入れているかのような…そんな「覚悟」といってもいい。
独りで生きることに、二人で死ぬことに、怯えることはもうない。
それは、安堵にも似た――
(いやだ!そんなのは嫌だ!)
ザックスに、生きることを諦めてほしくない。
何を犠牲にしても、生きのびてほしい。それしか自分は望んでいないのだから。
(彼女のせい…?)
彼女が、ザックスを捨てたから。
生きる意味を、幸せな未来を、失ってしまったから。
だからザックスは、そんな全てを受け入れるような優しい笑顔で、笑うのだろうか。
「クラウド。もしも、もしもだけど――」
ヒッチハイクをした車の荷台で、ザックスに肩を抱かれながら。
耳元で、微かに聞こえてきた彼の声。
車の走行音と風の音に、消えてしまいそうだったけれど、たしかに聞こえたのだ。
「もしも、俺がオマエを置いて、死んだとしても…」
(やめて―――)
そんな仮定の話なんか、聞きたくない。
「オマエの幸せだけを、想ってる。…嘘じゃないよ。」
そんなのは。
そんなのは、いつも自分が願っていることだ。
何十回と、何百回と、神様に祈ってきたことだ。
言葉には出せないけれど、心の中で、狂いそうなほど切望してきたこと。
それなのに、ザックスは。いとも簡単に、声に出してその言葉を言う。
(いやだいやだいやだ…!)
それは声に出すことで、言葉という形にすることで。
まるでその言の葉に力が宿って、それが現実になってしまうような――そんな気がした。
(恐いよザックス…!)
恐い。恐い。恐い―――恐くて、たまらない。
近づく彼の死が、恐い。
ドオン!
鳴り響く爆発音。硝煙の臭い。
二人の乗るトラックが、狙撃されたのだ。
もうミッドガルまでは、目と鼻の先というところだった。
「あいつら、数だけは揃えてきたか。」
クラウドを抱きかかえて、ザックスがトラックの荷台から飛び降りる。
トラックは急ブレーキをかけて止まり、人の良さそうな運転手が叫ぶ。
「おい兄ちゃん!早く乗れ!ここは危ないぞ!」
「サンキューおっちゃん!でもここで、俺は戦いたいから、」
そう明るい声で返して、振り返らずにザックスは走る。
クラウドを抱きかかえたまま――
ミッドガルが一望できる、丘の上へと。
「クラウド、行ってくるな。」
クラウドを岩陰に座らせると、頭を撫でてそう笑いかける。
(どうして言わないの…?)
いつも、ザックスがクラウドから離れるときに言う言葉―
『待ってろよ』
その言葉を、ザックスは言ってくれない。
(待ってろよ、って言ってよ。言ってくれれば、俺は何時間だって、何日だって待ってるよ。)
「最後に、声…聞きたかったな…」
そう寂しそうに笑って。ザックスの手が離れていく。
今、言わなくては。
何でもいい。何でもいいから、彼を繋ぎ止めなくてはいけないのだ。
(行かないで!行かないで!行かないで!)
声に、出さなくては。
一言でいい。喉がつぶれて、血を吐いたってかまわない。
(ザックス!行ったらやだ!お願いだから死なないで!)
もう二度と、声が出なくなっても構わない。
だから一言だけ、彼に――
(愛してる、だから生きて)
こんなに祈ったのに。
こんなに願ったのに。
何一つ、言葉には出来ないまま。想いは伝えられないまま。
離れて行くザックスの背を、ただひたすらに見つめていた。
雨音が、耳鳴りみたいだ。
ここは、とても冷たくて、寒い。
あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。
血と、硝煙の臭い――
冷たい雨がクラウドの体を打つ。その感覚を、やけにリアルに感じていた。
(…冷たい?)
右手の感覚が、戻っている。そう感じた次の瞬間には、左手も。
足には力がうまく入らない。けれど、体を引きずって、岩の間から這い出る。
(ザックス…ザックス…どこ…?)
体が、動くのだ。この姿を、彼に見てもらわなくては。
「ザック…」
声が、出るのだ。彼に、言葉を伝えなくては。
伝えなくてはいけないことが、たくさんあるのだから。
『ごめんね』
『ありがとう』
『あいしてる』
ザーザーザー…
聞こえるのは、雨音だけ。人の声も、銃弾の音も、聞こえない。
やっとのことで、ぬかるむ土の上を這いずり回り、丘の頂上までやってくると。
崖の向こう側…遠くに、ミッドガルが見えた。
ずっと、目指していた約束の地。
ついに、ここまでやってきたのだ。二人の旅の終着点が目の前にある。
丘の上には、数え切れないほどの死体が転がっていた。
どんな戦場でだって、クラウドはこれほどの死を見てきたことはない。
だけど、不思議と、恐怖はなかった。
恐いのは、ひとつ。彼の死だけ――
「く、ら…?」
はっとして、その声のほうを振り返ると、崖際で倒れているザックス――
血にまみれて、到底「普通」の状態だとは思えない。
もう思考が、まわらなかった。
体が、震える。
震えるその体で、なんとか彼の方へと這っていく。
ただ、彼の傍にいたかった。片時も離れることなく。
未来永劫、片時も離れたくない。そう、強く想った。こんなときに、なぜ?
今ならば、言葉にできる。
伝えてもいいだろうか?
5年間――否、それよりもずっと前から、彼に抱いていた想いを。
叶わなくても、いいから。選ばれなくて、いいから。
―――あいしてる、
けれど、クラウドが言いかけた言葉は、ザックスの声によって遮られた。
「俺、の分まで」
「…?あんたの、分……?」
「そうだ。オマエが――」
「おまえが…?」
「生きる。」
ザックスの言葉に、迷いはない。
それは願望や祈りなどといった、不確かで曖昧なものではない。
まるで、未来を知っているかのような、そんな確信すら感じられる。
まるで、言霊。
「オマエが――俺の生きた証。」
ザックスは、強い瞳だった。強い、想い。
「俺の誇りや夢、全部やる。」
クラウドの心臓に、その言葉が突き刺さる。
「… 俺が おまえの 生きた証 」
クラウドがその言葉を声に出して反芻すると、その言葉は力を宿し、真実に成る。
彼の死が、形になる。彼が、死ぬ。
ソレハ、死ンデシマイソウナホドノ、痛ミデ突キササル言葉――
「―――――――――」
クラウドは、泣き叫ぶ。
もう言葉なんか出てこない。
言葉を出したって、彼には聞こえない。――もう、聞こえない。
二度と、ザックスには届かない。
『 俺 の 誇 り や 夢 、 全 部 や る 』
それは、愛する人に全てを貰い、そして全てを失った瞬間だった。
――なあ、ザックス。
その言葉どおり、アンタの全てを俺のものにして、生きていく。
誇りや夢、その記憶さえも。
「俺の分まで、オマエが生きる。」
それは、俺の人生を縛る呪いなのか。
俺の人生を愛でる祝福なのか。
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