俺の死の先に、あの子の未来があるというのなら。
(喜んで、死ねるよ。)
『…ミッドガルに、いるんだ。』
そう、最初の電話で、彼は言った。
だから、行き着く先もわからない旅の目的地は、当然ミッドガル≠ノ決まった。
いろいろ考えなくてはいけないことは、ある。
どうして未来のクラウドと、電話が繋がったのか。
…どうして未来のクラウドが、電話をかけてきたのか。
未来への不安だって、消えたわけではない。
だけど。
ひとつ、わかるのは。ミッドガルに行けば、ひとつの願い≠ヘ叶うのだということ。
――だから。
「なあ、クラウド。俺、ミッドガルに行かなくちゃ。」
彼の細い肩を抱き寄せて、また歩き出す。
目指すは、ミッドガル。
ただ、あの子のいる場所へ―――
奇跡を起こしたのは、誰なのだろう。
神様だろうか。それとも、クラウド?ザックス自身?
――わからない。…わからない、けれど。
ピリリリリリ!
今日もザックスの携帯電話は、美しい音をたてて鳴る。
その音を聞くだけで、まるで未来への不安だとか、恐怖だとか――
そういうザックスの中で黒く濁ったものが、浄化されていくような気がした。
その福音は、まるでクラウドそのものだ。
「もしもし、」
『――ザックス?』
大事に耳に当てた携帯電話から、クラウドの優しい声が聞こえてくる。
もうそれだけで、泣き出してしまいそうなほど、愛しさが募った。
「オマエか?」
魔洸中毒のクラウドの前だから、クラウド≠フ名は呼べない。
きっと、気がふれたのではないかと…こっちの世界のクラウドに思われてしまうだろうから。
それだけじゃない。
こんなに情けない顔で、喋っているのだ。
自分の秘めた想いなど、見透かされてしまう。
…だから、まるで恋人と話しているふりをして、未来のクラウド≠ニ会話をする。
『大丈夫…?疲れてない?ザックス、ちゃんと寝てないんだろ。』
「大丈夫!オマエの声で、元気出た!」
クラウドは、まるで見ているかのように――実際、過去に見ていたのだろうけど――
ザックスの状態を理解し、気遣ってくれる。
その優しさが、とても嬉しい。彼の言葉を聴くだけで、疲れた体が癒されていく。
立ち止まりかけたその足が、また一歩、前へと進む。
(まだ、頑張れる。まだ、俺達は生きられる。)
そう――
未来にいるというクラウドの声は、まさにこの旅の「結末」を証明している。
クラウドは、生きているのだ。5年後のミッドガルで、確かに生きている。
いったいどんな手を使って、5年前…
つまりは、今自分のいる世界に、電話をかけてこられたのかはわからない。
それはきっと、クラウド自身もわからないのだ。全ては、謎に包まれている。
だけど、理屈なんかどうだってよかった。
重要なのは、クラウドが敵兵に殺されることもなく、魔洸に殺されることもないのだということ。
今は絶望的な旅であっても、頑張れば報われる――
「ミッドガルに」クラウドを連れていくことさえできれば、彼は生きることが出来るのだ。
クラウドを、守れる。
(守ってみせる…絶対に。)
ミッドガルに、彼を連れて行ってみせる。
遠くに、光が見えた。
二人、たくさんの話をした。
『北西の水際は、神羅兵が50人ぐらい待機してる。
一度ザックスが水浴びしてる時に狙われて、危険だったことがあるんだ。』
クラウドの言うことは、全て真実だった。敵兵の位置、人数、土地の地理――
5年も前の記憶だから、だいぶ曖昧ではあったけれど、
それでもクラウドから聞ける情報はとても貴重なもので、移動はだいぶ楽になった。
『それより、東の方向に下ったほうがいい。ザックスは結局、そうやって逃れたんだ。』
それらのクラウドの話は、つまり―――
魔洸中毒のクラウド≠ェ、二人の逃亡をかなり記憶していたということだ。
この時期の意識は、すでにおぼろげで忘れていることの方が多いという話だが、
それでも、驚くほど些細なことを覚えていたりする。
少なくとも、クラウドは魔洸に、完全には犯されていないということだ。
あの日、自分の意志で死のうとしたように。
動けないクラウドには、確かな自我が存在している。…そうであるならば、
「あのさ…オマエ、覚えてる…?」
聞くのは恐かった。
だけど、それを聞かないわけにはいかなかった。
『なにが?』
覚えていてほしくないのか。
「…ヒマワリ畑、」
覚えていて、ほしいのか。
「ヒマワリ畑で………………オマエに、したこと。」
『…え?何のこと?覚えてない。』
あの夜、クラウドと肌を重ねたこと。
ザックスにとっては、絶対に忘れることの出来ないことだ。
死ぬほど後悔した。……死ぬほど、幸せだった。
どちらの想いもそれは事実で、幸と不幸は混在していた。
クラウドは忘れたふりをしているのか、実際忘れたのか。
それの答えはわからない。だけど、知る必要もなかった。
「そっか…いいんだ。それで、いい。」
クラウドには、必要のない過去だ。
ザックスにとっては、あの夜の思い出だけが、今の自分を支えていると言っていいけれど。
彼にとっては、ただの暴力でしかない。
あんな一方的に身体を開かれたことは、忘れたい過去のはずだ。
――クラウドが、忘れてしまっても。
自分だけが、覚えているならばそれでいい。
その罪も、思い出も、自分だけが手放さなければ。
『…昔のことよりさ、未来のこと、話さない?』
クラウドが、常より少し明るい声で言う。
それは、ザックスを元気づけようとしているのが感じられた。
――自分を、生かそうとしてくれている。
「生きる意味」「生きる目的」。死に近い状況下において、それを持つ意味はとても大きい。
それを知っているから、クラウドはザックスに未来の話をしたいのだろう。
大木の幹の根元に、魔洸中毒のクラウドを座らせ、自分もその横に腰を下ろす。
…いい加減、何時間も休み無しで歩き続けて、限界だった。
クラウドの提案をきっかけに、少し足を休めることにした。
「そうだな。未来のこと、聞きたい。オマエ今、何やってんの?」
5年後のクラウド――それは、いったいどんな美しい青年に成長しているのだろうか。
瞼を閉じて、一瞬、彼≠想像する。
ザックスにとっては、今自分の左横に座っているクラウドの姿が何より彼であるから、
青年になったクラウド≠想像するのは難しいことだった。
横にいるクラウドは、神羅兵だった頃とあまり外見が変わらない。
身長は少し伸びたけれど、ろくな栄養もとれていないこともあって、相変わらず痩せ細ったままだ。
もう20歳も超えたというのに、美少女のように儚気で弱々しい。
ただ、昔と明らかに違うのは、瞳の色――
クラウドの持つ、ガラス細工のようなアイスブルーの綺麗な瞳は、ザックスと同じ魔洸の深い蒼色になった。
(…あんなに、綺麗だったのに。あんな色、見たことなかったのに。)
別に、綺麗なものだけが、好きなわけじゃない。
クラウドがどんな風に変わったって、愛しさは少しも変わらない。
だけど、そのクラウドの瞳の色を見るたびに、どうしようもなく悔しくなる。
許せなくなる。神羅も、この運命も。
そして、彼を5年もの間、守ってやれなかった…弱すぎる自分も。
「なあ、今どんなことやって生活してんの?」
瞳の色は失っても、今、生きていればそれでいい。
…そう思いたくて、ことさら明るい声でクラウドに問う。
彼の未来の話を、たくさん聞きたい。
『何でも。』
「え?何?」
『…だから、何でもやるんだってば。』
――それは、つまり。
「何でも、屋?」
『………悪いかよ。今は配達がほとんどだけど。』
(―――――クラウド、)
胸の奥が、締め付けられるような気がして、目の奥が熱くなった。
それは、この旅の道中。何度も何度も、彼に語りかけた言葉だ。
なんでも屋だ、クラウド。俺達は、何でも屋をやるんだ。
それは、クラウドと交わした約束というよりは。
自分自身に言い聞かせていた、願望のようなものだ。
在るか無いかもわからない未来。
…だけど、そんな未来でも口にしていないと、自分の心が折れてしまいそうだったから。
本当は、どこかで――叶わない気が、していた。
叶わないことを口にすることでしか、前に進めない自分がひどく滑稽で。
いつだって、空しさが募ったのを覚えている。
だけど、それは現実になった。
クラウドは、自分が馬鹿みたいに思い描いていた非現実な夢≠現実≠ノして生きている。
涙を堪えて、努めて明るく返す。
「へえ?今、そんな店やってんの?もしかして、俺との約束…覚えててくれた?」
『あんなにしつこく何度も言われれば、嫌でも覚える。』
「うん、そうだよな…すっげえ嬉しい。」
嬉しい、嬉しい。
クラウドが、生きている未来があることが。とても嬉しい―――
「そういえばさ。もうすぐ、だよな。」
『なにが?』
「――オマエの、誕生日。」
研究室を逃げ出してから、およそ1年。日付の感覚など無いに等しい。
だけど、携帯のトップ画面には日付が表示されていて、8月に入ったのを確認する。
そしてその日付は、電話の向こうの世界も同じらしい。
電話ごしのクラウドは、5年後のクラウド。
今、左手で抱いているクラウドが20歳――もうすぐ21歳になるのだから。
未来のクラウドは、今25歳のはずだ。
そして、あと数日で。
「もうすぐ、オマエの誕生日だよな。26歳になるだろ?」
『…そういえば。そうだっけ。』
「8月11日。オマエの誕生日――何が欲しい?」
『……別にない。』
思ったとおりの反応に、ザックスは笑ってしまう。
5年前(クラウドからしてみれば10年前)の少年時代と変わらない、
彼の不器用な性格が、あまりに可愛らしい。
「そっけないなあ、昔は素直だったのに〜。キラキラした可愛いものが欲しい、とか言ってさあ。」
そう、冗談めかして揶揄すると、電話越しでクラウドが捲くし立てる。
『違う!それはザックスが、女の子にプレゼントするって言うから!』
必死な彼が可愛くて。思わず腕の中にいるクラウドの髪を、くしゃくしゃと撫でる。
「…もうすぐ、オマエの誕生日じゃん?だから、」
こんなことを言ったら、彼を困らせるだろうか。
だけど、叶うならばもう一度――あの場所で。あの場所から、始めたい。
「あの店で、オマエに会いたい。」
『……え?』
「覚えてない?お前にチョコボのストラップをやった店。いつもあそこで、お茶したじゃん?」
『覚えてる、けど…。』
ザックスにとって、あの頃は人生の花だったといっていい。
クラウドが笑ってくれたあの頃が、人生唯一の―――。
だから、もう一度だけ。叶うならば、もう一度だけ。
「今から5年後のオマエの誕生日。そっちからすれば、もう数日後になるんだろうけど…。
あの店で、会おう――約束≠セ。」
それは、あまりに一方的な約束だった。
それでも、今の自分にとっては。その約束が、どうしても欲しかった。
未来を、約束してほしかった。
嘘でも、いいから。
『………………………………待ってる。』
そう一言だけ、クラウドは口にした。
電話の向こうで、彼が泣いているのを知っていたけれど、敢えて気付かないふりをした。
気付いていた。
どうして、クラウドが「過去」に電話をかけてきたのか。
…本当ならば、「現実」のザックスに電話をかけているはずだ。
気付いていた。
どうして、クラウドは未来のザックスの話をしないのか。
しないのではない。出来ないのだ。
…だから、敢えて聞かなかった。
5年後の俺は生きているのか≠ニ、聞かなかった。
『………ミッドガルには、行かない方がいい。』
およそ7回目の電話だった。
もうすぐミッドガルだとクラウドに告げたとき、彼は意を決したように、そう返してきた。
いつ、クラウドからその言葉が出るのか――自分はおそらく、予想していたのだと思う。
そしてその言葉を聞くのが、恐かった。
だってそれは、一番聞きたくない言葉へと繋がるはずだから。
聞きたくないのは、自分の未来のことではない。旅の結末でもない。
クラウドは、きっと知らない。
「…どうして?行くよ。ミッドガルに、絶対行く。」
それだけは、絶対に譲れない。だって、彼がそこにいるのだから。
そこに行けば、彼は生きられると知っているのだから。
『だめだ…』
「クラウド?」
『ミッドガルに行ったら駄目だ…!!』
そう、叫ぶように言う。彼が、そんなに恐れていること、それは――
『だって…だって…』
「だって――――俺が死んじゃうから?」
それは言葉にした瞬間、やけにリアルに感じられた。
何の根拠もない、だけど。自分の死を、これまでにないほど予感した瞬間。
『…………ざ、』
クラウドはもう、言葉を続けられなかった。
電話の向こうで、きっと美しいほどに蒼白な顔をしているのだろう。
「大丈夫、わかってる。」
電話がきた瞬間から、おそらくは気付いていたことだ。
そして実験室を逃げ出したときから、覚悟していたこと。
この子のために、命を投げ出そうと。
『…わかって、ない…。わかってなんか…ない、だろ…』
きっと今頃、クラウドは目に涙を溜めている。
唇を噛んで、その零れそうな涙を必死で堪えているのだろう。
そんな風に泣くのを我慢している彼の姿を、いつだって見てきたから。
(そんなに唇を噛むと、血が出るだろ…。)
少しずれた心配をしながら、ザックスは笑う。
「―――わかってる。オマエは、生きてくれたんだろ?」
それが、全てだ。
だから、受け入れたいのだと。
『俺は…俺のせいで…あんたは!』
「オマエを守って、死ねたってこと?それって、すっげえ本望。」
嘘じゃない。強がりでもない。
不思議なことに、心が、身体が。これまでにないほど、強くなっていくような気がした。
死は、たぶんもう恐くないのだ。
恐いのはひとつだけ、彼にその言葉≠言われること―――
『なんで、そんなこと言うんだよ…!俺のことなんか、俺のことなんか、』
「捨てろなんて言うな。」
強い口調で、繰り返す。
「捨てろなんて、言うな。聞きたくない。」
こんな責めるような言い方をクラウドにしたのは、間違いなく初めてだろう。
一番聞きたくないその言葉を、あえて先回りして言わせないのは卑怯かもしれない。
だけど、どうしても聞きたくなかった。
「俺を捨ててくれ」という言葉は。クラウドが、「ザックスを捨てる」という言葉と同義だから。
一人で生きていけと言われるぐらいなら、一人で死ねと言われる方がどんなにいいか。
そんな孤独の中に突き放されるぐらいならば、
いくら最愛のクラウドの頼みであっても、聞きいれるつもりなど欠片もない。
『………ざ……く…』
電話の向こうで、クラウドはもう、泣いてしまっているようだった。
嗚咽さえも聞こえる。
可哀想だけれど、手を伸ばしてあげることは出来ない。
そのクラウドの泣き声ひとつ、今の自分にとってはあまりに大切で。
絶対に聞き漏らさないようにと、目を閉じて聞いていた。
…どれだけ、時間が経っただろう。
クラウドがやっと、震える声で口にした。
『覚えてる。』
「…え?」
『アンタが、ヒマワリ畑で。……俺に、したこと。本当は、覚えてる。』
心臓が、跳ねた。
別に、クラウドが本当に忘れていたと思っていたわけではないのだけれど。
鼓動が早くなる。クラウドを抱えている左手が、どうしてか震える。
『俺を、女の代わりにしただろ。』
「え…」
(―――代わり?)
クラウドが、いったい誰の代わりになるというのか。
この世界で唯一無二の存在だというのに。
『アンタに、あんなことされて…俺、許せなかった。だから、』
許してもらえることじゃない。それをわかっているから、言い訳はしないし、許してもらうつもりもない。
『だから、アンタが死んで清々したんだ。アンタは俺をかばって、あの丘で死んだのに…
俺はアンタを見殺しにして、一人でミッドガルに行った。』
『今は、結婚してる。幼馴染の…ティファと。アンタも会ったことあるだろ。』
『子どもも、いるんだ。デンゼルとマリンっていって、すごくいい子なんだ。幸せに、暮らしてる。』
「………。」
クラウドが一気にそう続けるのを、ただ黙って聞いていた。
クラウドの意図しているところを、理解したから。
ザックスを責めるはずのその言葉は、まるで自分自身を責めているかのように、ひどく痛々しかった。
『だから―――今、幸せなんだ!ザックスを殺して、のうのうと生きてる…最低なヤツなんだよ!』
泣き叫ぶように、クラウドは言う。
その必死さが、とても悲しい。
今、彼はザックスを生かすために、言いたくないことまで言っているのだろう。
彼にそうさせてしまったことが、とても悲しい。
(…ばか、だな。)
なんて馬鹿で、優しい子なんだろう。
もしも彼の言葉が全て真実で、そんな未来を生きているのだとしたら、
「よかった。」
ザックスにとっては、ただそれだけだった。
その言葉以外、見つからない。
クラウドが、自分の死を糧に生き、その上に幸せを見出してくれたとしたら。
――こんなに幸福なことはない。
腕の中の、低い体温のクラウド。
それは、今にも消えてしまいそうなほど儚い命に思えた。
…本当はずっと、恐かったのだ。クラウドが消えてしまうこと、死んでしまうこと。
あの夜――わずかでもクラウドの熱を感じたくて、何度も何度も肌をさまよったのは。
彼の死を、ただひたすらに恐怖したからだ。
だから。
今なら、はっきりとわかる。
――クラウドの生こそ、自分の全てだと。クラウドの幸せこそ、自分の幸せだと。
…たとえばその隣に、自分がいなくても。
『ザックスなんか、嫌いだ…。大嫌い、だ。』
その恨みごとひとつ、今は手放したくなくて。
もう少し、もう少しだけ、声を聞いていたいと思った。
『アンタなんか、さよなら、だよ。』
―――――これが、最後になるかもしれないから。
「それでも―――愛してる。」
そう、初めて愛の言葉を伝えた、その瞬間に。
『ピー』という空しい音を立てて、携帯電話は自動的に切れた。
それはまるで。
クラウドの答え、そのもののようだった。
「……クラウド。俺、ふられちゃったみたい。」
この世界のクラウドを抱き寄せて、泣いた。
泣きながら、どうかあの子が泣きやみますように、と――ただひたすらに、願った。
――なあ、クラウド。
お願いだから、泣かないで。
自由とか、夢とか…そんなんじゃ、ない。
最期に欲しかったのはただひとつ。
オマエの幸せ、それだけだったから。
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