「赤ずきんを脱がさないで。」その語のお話。
前作はエロコメディでしたが、だいぶ雰囲気変わります。わりとマジメ?です。
赤ずきんを脱がさないで。
番外編
「人でもなく獣でもない、優しい魔物。」
名前を、持っていなかった。
物心ついたときには、森の奥深くで生活をしていた。
泉の近くにたたずむ小さな木の小屋。そこを棲家として「狼の姿」で生きていた。
必要な食糧や物資を買いに、人の住む小さな村へと降りることもある。
そのときは、「人の姿」をして、「人の衣服」を身に纏い、「人の言語」を話した。
狼なのか、人間なのか?――どちらが、本当≠フ自分なのか。
わからないけど、自分以外の何かと「一緒」でありたかった。
だから、森では動物のふりをして、村では人の真似事をした。
本当は、わかっている。
自分は狼ではない。人でもない。
もし狼であったなら孤独を嘆いたりはしないし、人であったなら孤独であるはずはない。
人間は、家族という群れを持ち、村や街というさらに大きな群れの中で生きている。
そこに入れないのだから、自分は人には成り得ないのだ。
見たこともない母親――彼女は、どちらの生き物だったのだろう。
狼だったから子を生み落として当然のように捨てたのか、
人間だったから異形な我が子を嘆いて捨てたのか。
わからないけれど、どちらにせよ親に捨てられたことには違いない。
…気が、遠くなりそうな時間に思えた。
実際には、たかが18年――
正確にはもう少しあったかもしれないが、およそそれぐらいの時間。
自分がいかに異様で、異形で、醜悪なものであるか。
それを知るには、十分すぎる時間だった。
何のために、生きていけばいいのだろう。生きる目的も、理由も、一緒に生きてくれる誰かもいない。
たとえば、もし自分がただの狼であったならそれでも良かった。
中途半端に人≠ネんかであるから、こんなにも恐ろしいのだ。
独りぼっちが、恐かった。
それでも、ザックスの抱く孤独≠フ中には――唯一の光があった。
それは、人間≠フ少年の存在。
人が滅多に近づくことのないこの辺境の森に、その少年は幾度となく姿を現す。
ザックスの小屋の近くに湧き出る泉――夏はそこで水浴びをし、秋は落ち葉の絨毯の上で本を読み、
冬は雪ウサギを抱き、春は一面に咲く花畑で居眠りをする。
毎日毎日、来る日も来る日も、その少年のことを見ていた。
…人間の子は、なんて愛らしいのだろう。
小さなウサギや花を愛で、日の光に目を細め、風が吹くと目を閉じて、雪が降れば嬉しそうに空を仰ぐ。
その子の表情全てが、行動すべてが、想い全てが愛おしい。
ザックスは、その少年に自分の姿を見せることは絶対にしなかった。
彼は、人間の子――そうであるのだから、狼は「敵」であるはずだ。
ザックスは人の子など(動物もそうだが)襲ったことなどないが、
人間社会において、狼は小さな子供を襲うものだとされているらしい。
どんなに腹がすいていたって、人の子を喰らうなどありえない。
森には豊富な食糧があって、いくらでも木の実や果物、穀物がある。川魚もいる。
村や街に降りていけば、これらの物と他の食糧を交換することも可能だ。
だから、あんなに愛らしい子を傷つけるわけがないけれど、あの子はどう思うか。
獣である自分を見て、恐がらないわけがないだろう。当然だ。
だからといって――…
人の姿をして、彼とコミュニケーションをとろうとも思わない。
彼に一言、「何者か」と聞かれてしまえば、それまでだと知っていたから。
狼でも人でもない、半端者で異端な自分が、彼に愛されるわけがない。
気味が悪いと、泣かれてしまうのだけは――耐えられないと思った。
いつか、この子が成人したときには、きっと彼の住む小さな村から飛び立つのだろう。
…それまでの間だけでいい。
ただ、あの子を見ていたかった。それだけが生きる「意味」だった。
少しも大袈裟なんかじゃない。だって、
―――ザックス、と。
生まれて初めてその名を呼んでくれたのは、他でもない彼――クラウド≠セったから。
遠い遠い、昔のこと。
彼はきっと、覚えていないに決まっているけれど。
「なにそれ?いつの話だよ?」
クラウドは焼きたてのアップルパイを頬張りながら、ザックスの顔を覗き込む。
花びらを浮かべた温かいダージリンティーを、クラウドの皿の隣にコトンと置く。
彼はそのカップを両手で包み、温まった両の手を彼自身の耳へと持っていった。
窓の外にはちらちらと雪が降り始めている。
暖房器具などなく、小さな暖炉があるだけのザックスの小屋=B
きっと、クラウドの小さな体は、冷えてしまっているのだろう。
「やっぱり、覚えてないかぁ。」
そう笑いながら、ザックスはクラウドの肩に、一枚しかないふわふわの毛布をかけてやる。
寒さから身を守るものは、こんな物しかここには置いていない。電気もガスも通っていないのだ。
狼として生きているときは、温度変化に強くそんなものは必要なかった。
だが、人の姿をしている今――正直、寒い環境下は「人」並みに苦手だ。
でも、クラウドの前では狼の姿でいたくない。
一人の、男でいたかった。
だから、多少寒かろうと耐えるしかない。
「クラウドが、まだこんぐらい小さかったとき。4歳ぐらいかな?俺もまだ、結構小さいなりだったけど…」
クラウドが覚えているわけがない。彼はあの時、まだとても幼かった。、
初めて、「狩人」というハンティングを生業としている者に、足を撃ち抜かれた時のことだ。
ザックスもまだ小さな仔狼で、それは仔犬とさして変わらない姿だったと思う。
「狩人の奴に、猟銃を突き付けられた時にさ。オマエがいきなり、俺の前に飛び出してきて。」
「え?!俺が?!」
「『こいつは僕のワンコだ!!』って狩人相手にメンチ切ってた。たった4歳の子供が、だぜ?」
そう、クラウドと初めて会ったのは。本当は、その時だった。
銃で撃たれ、出血が止まらない小さな狼を――
幼いクラウドは、その近くに住む彼の「おばあさん」の家に連れて行き、手当をしてくれたのだ。
彼の「おばあさん」はとても美しく穏やかな老婦人で、なんと自分のために街から獣医を呼んでくれた。
クラウドが「ワンコが死んじゃう!」と大泣きしていたから…可愛い孫のためであったかもしれない。
それでも、衰弱した自分の体を、何度も優しく撫でてくれた。
今まで人間に触れたことがなかったから知らなかったけど。
人間の「手」がとても温かく、そしてとても優しい動きをすることを…その時、初めて知ったのだ。
「全然、覚えてない…。」
「クラのばあちゃんは、覚えてるかもな?10年と少し前ぐらいのことだし…。
それにあの時、獣医の先生がさ、『これは狼の子供ですよ』って言ったもんだから、
びっくりして腰抜かしてたもん!ばあちゃん。」
おそらく、仔犬だと思い込んでいたのだろう。
それが狼だと知ったときの驚き様は、大変なものだった。
今にして思えば、その心中も察するところだ。
2週間ぐらい経ち、狼の怪我が治ると。「一緒に住みたい」と幼いクラウドは駄々をこねた。
犬ならともかく、さすがに狼を飼うことなど出来やしない。
おばあさんは眉を下げて「ごめんね」を繰り返し、クラウドをあやしていた。
「今はこんな風に懐こいけど。狼は大きくなれば、人を襲うんだよ。」
「ザックスは狼じゃない!ザックスはザックスだもん!」
自分を抱き寄せて離すまいとするクラウド。
彼の涙のたまった瞳を一舐めし、今の『ザックス』とは何を指すのかと首を傾げる。
「ねえザックス!ずっと、一緒にいてくれるよね?」
……そうか。『ザックス』というのは、自分を呼ぶ単語らしい。
それを人の世界では、たしか「名前」と呼ぶんだったか。
「キュン!」
格好良く鳴くつもりが、まだ子供であるせいか、少し甘えた鳴き声になってしまった。
これでは、まるで仔犬のそれだ、情けない。
クラウドの前では、もっと強くて逞しい、いい男でありたい。
そうなれるよう、早く大人にならなくては。
「ほら!ザックスも、うんって言った!僕たちずっと一緒だよ。」
クラウドが、ザックスを抱き寄せて、ぎゅうぎゅうと抱き締める。
「キューン、キューン…」
目の奥が熱い。こんな甘えた声、格好悪いに決まっているのに、どうしてか止まらない。
勝手に、鼻が鳴いてしまうのだ。
愛しい愛しいと――繰り返し繰り返し、想いが止まらない。
叶わないと知っていても、願わずにはいられなかった。
この子を、抱き締め返す腕があったなら。
この子に、大好きだよと伝える言葉があったなら。
――この子と、同じ人間≠セったなら。
ずっと、一緒にいたい。一緒にいると約束する。この命が土に還るその瞬間まで、彼を想うと誓う。
……ともに、生きていくことはできなくても。
この優しい子に、自分を捨てさせるのはあまりに酷だ。
クラウドの家族を困らせたくもない。
だから、それから間もなくして、その家からそっと姿を消した。
クラウドとの約束を破るつもりはない。
ずっと、クラウドのことを見守り、想い、幸せを願って、そうやって生きていく。
…それは、彼と再び出逢う前の話だ。
彼を見守り続けたことで、まさかのまさか――クラウドに自分を受け入れてもらい、
今はこうして肩を寄せ合って、ザックスの焼いたアップルパイを食べている。
本当は、このザックスの棲家にクラウドを招くのは、あまり気が進まない。…というのが本音だ。
クラウドがどうしてもと言うから連れてきたが、出来るならこの部屋を見せたくはなかった。
なぜならこの小屋は、人間としての生活感が希薄で、便利さもなければ洒落てもいない。
古びた暖炉以外、暖房器具すらないのだ。
人間ではない部分をクラウドに晒しているようで、ザックスには抵抗がある。
少しでもクラウドの居心地がいいようにと、村でとびきりふかふかな毛布を手にいれたり、
部屋を隅々まで掃除したり、いい匂いのする花を窓辺に置いたりしてみた。
甘い物が好きだというクラウドに、お菓子を焼いたり、香り立つ紅茶やハーブティーを煎れてやったり。
それら全てをしてみても――クラウドが不便を感じていないか、不快に感じていないか。
恐いものは、恐いのだ。
考えてみれば、臆病なのはもはや性分かもしれない。
嫌われるのを恐れて、この子に近づくことも出来なかった。10年もの間、ずっとだ。
「ザックス、そういうのストーカーっていうんだよ。」
「え?!ひど?!俺の10年超しの片想いを、そんなバッサリ斬り捨てるの?!」
いくら何でも、ストーカーと呼ばれるのは切ない。
クラウドの裸を泉の畔で覗いたり、モフモフされる雪ウサギに嫉妬したりはしたけれど――
冷静に考えてみれば、ストーカー行為と大差ないかもしれないけれど――
それでも、もともとは幼いクラウドと約束していたことなのだ。
ずっと一緒にいると。ずっと見守ってあげると。
「だってそうじゃん。俺のこと、10年も遠くから見てるだけなんて、そんなの自己満足だろ。
一緒にアップルパイ食べて、いっぱい話して、寒いけど一緒に毛布にくるまって…
そういうんじゃないと、俺は嫌だ。……そういうのが、俺はいい。」
温かいダージリンのおかげか、少し頬がりんご色に染まったクラウドが、
彼を包むふわふわの毛布の左はしをザックスの肩へと引っ張る。
一枚しかない毛布、でも一枚あれば充分で、
「クラウド!!」
「ちょっと…!すぐ尻尾ふるな、バカ犬!」
「ワンワン!」
今は人間の姿だから、尻尾なんてものはない。
だけど、クラウドには「見えない尻尾が揺れてる。」とよく言われる。
きっと、隠しきれないのだろう。
クラウドといると、見えない尻尾を隠せない。だって、
「クラウドといるとさ。俺の尻尾、勝手に揺れちゃうんだよね――幸せすぎて!」
狼でも、人間でも、クラウドはザックスを抱き締める。
どっちでも構わない。どっちの自分でも、悪くはない。
クラウドの愛すべきものは、ザックスにとっても愛すべきものなのだから。
「ザックス!お座り!マテ!」
「チンチンならできるぜ?」
「―――こっのバカ犬!!」
「可愛い!俺の赤ずきんちゃん!」
クラウドの赤ずきんは、彼の金色の髪と白い肌によく映えている。
それはザックスのお気に入りでもあるけれど、同時に脱がすのもまたお気に入りだ。
赤いずきんがするりと彼の艶やかな肌から滑り落ちていくと、
ほんのりリンゴ色に染まったクラウドのほっぺたや唇に、遠慮なく食らいついた。
赤く色づいた彼の体は、旬のリンゴのように甘く、切なく、淫美に香りだつ――
「……ざっ、くす…ッ」
「クラウド、もっと呼んで?オマエが呼んでくれないと、意味がない。」
きっと、生きている意味さえもない。クラウドが呼ばないなら。
その名は、彼が自分を求める愛の言葉で、自分を自分としての形をなす呪文であり、
そう呼ばれるために生きているといっても間違いではない。
その名が、この身に命を吹き込んだのだから。
その後は、ただ、互いの名前を呼び合って。
互いの境界線が酷く曖昧になるぐらい、融け合って。
いっそ、一つになれたなら、クラウドと同じ人間(モノ)になれたなら――
それが叶わないなら、せめてこの子を幸せにできる唯一の何かになりたい。
そうクラウドに伝えると、彼はこれ以上どうやって幸せになるんだと言って笑い、泣いて。
…また笑った。
―――可愛い、僕の赤ずきん。
「待て」と「お座り」は苦手だけれど
キミのためなら何でもできる。
何にだって、なれるさ。
大好きなキミの、
僕は王子様!ナイト!番犬!!
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