……夢のような日々に。
自分の立場を、見誤っていた。
自分の汚さを、忘れていた。
(side Cloud)
その日、ザックスの誘いを断った。
飲みにいかないか、と玄関で誘ってきたザックスに、ゴメンと言った。
ザックスの様子は普通ではない。
何かどうしようもなく辛く、悲しいことがあったのだ。
今日一緒にいられないなら終わりだと言われ、何がそこまで彼を追い詰めたのか気になった。
「しょうがないな」と一言そういえば、きっとザックスは笑ってくれる。
もしくは、変なことを言ってすまないと謝るかもしれない。
そしてまたいつもの二人に戻れる。
でも、クラウドは。この傷ついた友人を見捨てて、部屋を出た。
のっぴきならない用事があったのは本当だった。
あの男――フリードに、呼び出されたのだ。
フリード専用の執務室のドアの前に立ったとき、その先に何が待っているかは知っていた。
最近クラウドは、男たちに乱暴を受けることが減っていた。
兵士としての能力が高くなったことで、よほど大勢かソルジャー相手でなければ抵抗できた。
また、ザックスというソルジャーと多く行動をともにするようになり、男達はなかなか手を出せなかった。
ザックスの能力はソルジャーの中でも秀逸だったし、彼のクラウドに対する溺愛ぶりは有名だからだ。
二人は決して恋人同士≠ナはなかったが、そこにただならぬ絆があるということは一目瞭然だった。
クラウドのことばかり追いかけるザックスと、ザックスにだけ笑うクラウド。
恋人といえるほど親しくも見えるが、だが女好きなザックスの性癖から、周囲の判断はつきかねた。
だが少なくとも。クラウドに手を出せば、黒髪のソルジャーが黙ってはいない、ということはわかる。
また一方で、ザックスといるときのクラウドの人間らしさ――すねたり笑ったりする顔。冗談も言う性格。
それを見た周囲の態度も徐々に変わり、クラウドに話しかける者も出てきた。
もとより良い意味でも、クラウドに関心をもつ者は多いのだ。
その美貌と才能故に、ただ敬遠されていただけで。
周囲の態度の変化は、ザックスのおかげだとクラウドは思う。
クラウドはザックスを隠れ蓑にするつもりはない。
だがザックスの存在が少なからず、邪な考えを持つ者達への牽制になっているのも事実だ。
そして彼のおかげで人との接し方を知り、勇気を持って話しかければ案外に人は受け入れてくれると知った。
ザックスを通じて、カンセルのような信頼できる存在もできた。
それにザックスはクラウドにトレーニングをつけてくれることもあり、まるで鉄棒を子供に教える父親のように、
一生懸命になって指導してくれた。
その成果もあって、最近では講義や射撃だけでなく体術の成績もすこぶる良い。
それでも全くちょっかいがなかったわけではないが、死ぬことばかり考えていた以前とは違う。
力があれば、この運命から抗える。
遠くに、光が見えた。
そんなとき、まるで断ち切れない悪夢の連鎖のように――かかってきた一本の電話。
「オマエの、恥ずかしい映像を見られたくないなら」
そう言ってクラウドを呼び出したのは、フリードだった。
入隊して初めてクラウドを裏切った男――もとより神羅での悪夢の始まりは、この男との出会いだった。
トモダチだと言ったその男に、さんざん犯され、その痴態をビデオにとられ。
そう、そのときのビデオテープは、カンセルが処分したものだけではなかったと知る。
フリードの執務室で、クラウドは吐き気を覚えた。
クラウドに見せられたテープは、何人もの男に虐げられている自分が写っていた。
こんなに醜い光景があるのだろうか。
「この映像を、オマエの母親に送りつけてやろうか?それとも、ザックスにプレゼントするか?
夜のいいオカズになるぜ。」
死にたい、と思った。
今度こそ、死にたいと。
その闇の中で、クラウドは再び男に犯された。
ザックスの笑顔を思い出すたび、絶望は深まる。
ザックスと初めて会ったときも、こんな風に男に汚されたなと思い出しながら。
狂った行為の後、クラウドはボロボロになりながら服をかき集めた。
男がシャワーを浴びている音を聞きながら、部屋を這う。
あとちょっとの拍子で、心が壊れそうだった。
ほんの、ささいな拍子で――
携帯電話の電源をつけると、すぐに着信が鳴った。
誰かなんて、出なくてもわかる。ザックスだ。
迷った末に電話に出ると、彼がどうしても会いたいと言う。
後ろめたさから渋るが、彼の言葉にクラウドは折れた。
『会いたいんだ。おまえがいないと、生きられないって気付いたから。』
そのあまりに真っ直ぐな、想い。
彼は強引だが、今まで無理を通すことなぞ一度もなかった。
そんな彼が、どうしても会いたいというならば、傍にいきたいと思う。
自分にできることがまだあるならば、何でもしてあげたかった。
会いに行くと返事をして電話を切る。
シャワーから出てきたフリードは途中から話を聞いていたらしく、醜悪な笑いを含ませながら言う。
「淫売が。帰ったらザックスのをまた咥えこむんだろ?」
クラウドは、思わず叫んだ。
「ザックスはそんなんじゃない!!」
彼が侮辱されるのが、耐えられなかったから。
「おまえに、それ以外の取り柄があんのか?」
その男に投げ捨てられた言葉――
それは、まさに自分が一番感じていたことだった。
男の粘着質な欲望の名残。肌に残る無数の痕。この世で一番、汚れきった自分。
(……何の価値もありはしない。)
壊れていく音が、聞こえた。
その後、見た目だけは清めて、ザックスの待つ教会に行った。
洗い流したところで、中身は腐っていると知っていたが。
不思議とクラウドは冷静だった。
それは「あきらめ」―――。
教会の扉を開けた瞬間、クラウドは彼の逞しい胸に抱きしめられる。
「すっげえ会いたかった…もう帰ってきてくれないかと思って半泣きした。」
彼はきっと夜の間、ずっと自分を探してくれたのだろう。
ザックスの汗の匂いと、教会に咲く花の香りが、とても甘く切ないと思った。
「どこに行ってたか、聞いていいか。」
そうザックスに問われ、聞かないでほしいと答えた。
「もう、ザックスに嘘をつきたくないから。」
もう、嘘でこの優しい人を繋ぎ止めてはいけないのだ。
「じゃあ違うことを聞く。」
「うん。」
ザックスの腕に力がこもるのを感じる。
「汝健やかなる時も病めるときも、」
それは――未来を誓うコトバだ。
「その生涯を通じて、目の前の男を愛すると誓いますか。」
涙が、出た。
彼のTシャツを濡らしたくないと思っても、止められない。
ザックスは、自分を選んでくれようとしているのだ。
老後は二人で
いつかコスタで話した未来を、約束してくれようと。
――だけど。
終わりの、ときだと思った。
もう彼に嘘はつかない。
甘い夢物語は、終わらせなくてはならない。
…だから、YESなんて言わない。言ってはいけない。
「答えは、NOだ。」
ザックスは、どこか遠くを見るような表情をしていた。
「だけど。」
クラウドは15年間はずすことのなかった、十字架のネックレスをザックスの首にかける。
これは、クラウドの最後の祈りだ。
「アンタの幸せだけを祈ってる。それを、ここに誓うよ。」
自分の持つ全てを、彼に渡すから。だから。
神様なんか、たぶん二人とも信じていない。
だけど、もしももしも……もしも、神様がいるのなら。
彼に加護を与えてほしいと願った。
こんな腐りきった自分には、もう何も残らなくっていい。
その日。自分の全てを諦めて、彼の幸福だけを想った。
――なあ、ザックス。
世界は何もかも堕ちていくけど。
アンタだけは、アンタのままでいてほしい。
だから……さよなら、したんだよ。
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