C-brand

 

 


 

 

 



 

 

、はじめました。

 

 

【 ご 注 意 】

*ザックスが年上リーマン、クラウドが大学生かつコンビニのアルバイト店員という現代パラレルです。

*ザックス視点になります。ザックスはクラウドがレイプされたと思い込んでいて…という展開です。

 

 

ねえ どうして、

愛の言葉は限られているの?

 

 

epilogue 1

 

海外の名の知れた大学を卒業して、望んでいた外資系の会社に就職をした。

入社後はすぐ海外赴任が決まり、漸く母国に戻ってきたのは5年目に差し掛かった時のこと。

大学の在学期間を数えれば、およそ9年ぶりの日本での生活ということになる。

 

仕事は充実していた。

海外赴任の時期は毎朝毎晩仕事漬け、休暇も年に片手で数えられる程しか取れなかったけれど、

それに見合う給与も与えられたし、地位や責任も受け取った。

若手で異例の出世と賞賛と羨望を浴び、自身もこれまで歩んできた人生全てに、

一度たりとて挫折をしたことのないその華やかで完璧な経歴に、自負と誇りを感じていた。

 

驕っていたのかもしれない。そう、今ならわかるけれど――

 

母国に戻ってきてからも、それこそ海外にいたとき以上の気概と労力で、仕事を全うした。

こちらの会社においても、ザックスの評価は高い。そうしてどこまでも自信を積み上げていった。

けれど、3ケ月ほど経った時だ。

部下が――部下といっても、ザックスよりも10歳以上年輩の、子供が3人いる家庭のある男だった。

そのザックス直属の部下が、自殺で亡くなったのだ。原因は、過労によるノイローゼだった。

その時漸く知ったのだ。

挫折を知らない≠サんな浅はかで薄っぺらい人生を歩んできたせいで、

いかに他者を顧みてこなかったか。ひとの心や体が脆いこと、それを知ろうともしなかった自分が、

いかに薄情で無能な責任者であったかを。

 

結果的には「挫折を知らない」という事実、それがザックスにとって生涯唯一の挫折となったのである。

 

 

 

 

 

疲れた――そんな風に独りごちる日が多くなった。

毎朝カフェで飲むコーヒーが、美味しいと感じなくなった。

電車の窓に映る自分の姿が、まるで項垂れているように見えて。思わず目を反らした。

家のことはハウスキーパーに任せるようになって、そつなくこなしていた自炊もしなくなり、

食事は外食ばかりになった。筋力は衰えて、体重が減った。

毎日に張り合いを感じない。

季節の移り変わりを感じることも、異性にときめくことも、友人や両親を慈しむ気持ちも、

まるで心が死んでしまったかのように、考えることを放棄していた。

 

もう、全て「終わり」にしたい。

終わりにする気力さえもないくせに、出来もしないことを考えて。それでも日は沈んで上っていく。

そうして、時間を惰性に過ごして、そのまま独りで死んでいくものだと。そう思っていた。

 

 

 

 

 

 


 

 

「――ありがとうございました。」

丁寧に添えられた小さな手に、思わず顔をあげれば。

大きな大きなアイスブルーの光彩煌めく、宝石のような瞳と目が合った。

真夏の夜。ネクタイを緩めてビールを買いに寄ったコンビニで、釣銭を受け取ったその時だった。

冷やりとした手の平、そしてそれ以上に涼やかな声で送られた礼に、言いようのない心地よさを感じた。

 

「うん、ありがとう。」

そういえば、誰かに礼を述べたのはいつぶりだっただろう。

ザックスが目を細めれば、店員は照れくさそうに微笑んだ。

そのアイスブルーの宝石が、金色の睫の中でキラキラと揺れる。

真白い肌にほのかな桃色が射し、形のよい唇が優しい弧を描いた。

可愛い、綺麗、儚くて、そしてそれ以上に、優しい表情だった。

こんな見返りを求めない、本当の微笑みをもらったのは、いつぶりだっただろう。

 

 

 

時間が止まった気がした。――否、むしろ止まっていた時間が動く、きっとそんな感覚だったのだ。

 

 

 

それからというもの、毎晩彼に会うためにコンビニへと通った。

自宅からほど近い立地であるから、これまでだって頻繁にこの店には来ていたはずだったけれど、

おそらくは彼に気付かないでいたのだろう。

あれほど周りに興味を持てないでいたのに、気付けば彼の一挙一動を目で追ってばかりいる。

たいして関心のない雑誌を捲りながら、彼の「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」に耳を澄ます。

 

愛らしい容貌に反し、彼はなかなか度胸があるようだ。

コンビニの前でたむろしている、いわゆる不良な男子高校生グループの喫煙を注意したり、

強引なナンパを止めに入ったりしていた。

かといえば、老人や子供には優しい。

お漏らしした幼子を抱きかかえてあやしたり、その後の始末を進んでやっていたり。

銀行の場所を教えて欲しいという老婆を、少し距離があるにも関わらず送っていくのも見た。

真夏の蒸し暑い夜に、老人とはいえ人ひとり背負って歩道橋を上るのは、楽ではないはずだ。

 

不器用な子だと思った。

でも、真っ直ぐで、真面目で、正義感が強くて、彼が誰かに手を伸ばすのは損得からではない。

社会や他者から賛辞を浴びたいわけでもない。

――ただ、本当の優しさを知っていた。それだけだった。

 

 

 

当然のように恋をした。魅かれてしまうのは、あまりに自然だった。

 

 

 

 

 

 


 

 

「トモダチになってください!」

 

それは、『牽制』のつもりだった。

最近彼の周りに付き纏うようにしている、ジャージ姿の男。

眼鏡をかけていて、切りそろえていない伸びきった頭髪。フードを深く被っていて、いかにも怪しい。

いつもザックスの隣で、男も雑誌を手にクラウドを盗み見ている――その邪な視線に、気付いていた。

だから、わざと男の前で告白めいたことをしたのだ。男を遠ざけるために。

 

しかし、男の行為はエスカレートしていった。

男はクラウドの勤務時間を把握しているようで、彼の勤務が終わると後を追うようにともに出ていく。

まさかとは思ったけれど、どうしても心配で。ある日ザックスも男の後を追ってみれば、あろうことか

アパートの前まで付いて来ていた上、彼の部屋のものだろうか、郵便ポストを漁っていたのだ。

その場で男を罵倒し、少し取っ組み合って脅しをかければ、男は慌てて逃げていった。

まごうことなきストーカーだ。これで諦めるとは思えない。

 

しばらく姿を見せることは無かったが、あの雪の日――

並木道でクラウドに声をかけた、怪しいスーツ姿の男。

髪は切りそろえられ、上質なスーツを着て、ビジネス用の香水をつけているその姿、まるで

他でもない「ザックス」自身に似ているような気がして、その不自然さに心の内側で警鐘が鳴った。

けれども、それがあのときのジャージ姿のストーカー男であったということ。

それに気づくことが出来なかった。

もしも気付いていたならば、もっと慎重に構えることが出来たし、

彼を危険な目に合わせずに済んだかもしれない。

…彼を、泣かせずにすんだかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

「で、いきなり同棲はじめたのか?!」

「いや、そんなんじゃねえよ。昨日は病院に泊まったけど、今日はあいつ帰るところないから。

俺の家に連れていくつもりってだけ。」

「でも、しばらく一緒に住むんだろ?少なくとも次の部屋が見つかるまではさ。」

「そりゃあ、俺はそうしたいよ。クラウドの部屋はガラス割れたまんまだし、部屋の中に盗聴器まで

あったらしいし、他の野郎が触ったもの使ってほしくない。…なにより、一人にするの心配。」

「もうすぐ成人する男だろ。なにが心配なんだよ。」

「心配だろ!マジで可愛いんだ、男とか女とか関係ない。」

「…はあ、絶対に独身貴族になると思ってた、お前がねえ……。」

 

ビルの最上階にあるスカイラウンジで、少し遅い昼食を取りながら。

同期のカンセルは、「遅すぎる初恋に乾杯」と言いながらコーヒーの入ったタンブラーを傾けた。

「その子、大丈夫なのか?」

「ああ、怪我?昨晩病院で、俺と一緒に手当てしたよ。顔の傷はたぶん残らないって医者が、」

「いや、そっちじゃくて。心のほう。………レイプ、されたんだろ。」

「………俺はそんなこと、一言も言ってねえけど。」

恋人の家にストーカーが押し入り、その際に乱闘となった為にザックス自身、右手に怪我を負った。

包帯を巻いている理由を問われて、そんな風に説明しただけだ。

 

「余計な詮索して、悪い。」カンセルはすぐにそう謝罪をする。

ザックスの知る限り、彼は誰よりも空気が読める。人の気持ちのわかる男だった。

「…カンセル。誰にも、言わないでほしい。」

「言うわけない。」

「そうだな。カンセルだもんな。」

不思議なほど情報通なのに、その実、とても口が堅い。

冷静沈着を表に出しているが心の内は情に厚く、ザックスが仕事で成功した時も、挫折をした時も、

変わらず応援し続けてくれた唯一の友だった。信頼している。

 

「あのな、カンセル。俺って、単純で薄情な男だなって思うんだ。」

「まあ、お前に捨てられた、その他大勢の美人たちからすればそうだろうな。」

「それもそうだけど。…クラウドに対してもさ、簡単に心変わりしちゃったから。」

「心変わり、したのか?」

「した、かも。」

不変など信じたことはなかったけれど、それでもこんなにも簡単に人の心が移ろい易いものだなんて。

 

「…クラウドに何があったって、俺の気持ちは変わらない。絶対変わらないって、思ってたんだ。だけど、」

――変わってしまった。

他の男によって傷つけられた恋人を目の前にしたとき、これまで抱いていた、

ふわふわと浮遊するような淡い恋心は、粉々に砕けてしまったのだ。そんな気がする。

「まあ、そーいうのって、お前らしいんじゃない?」

カンセルは、ザックスを薄情だと責めるわけでもなく、浅はかだと呆れるわけでもなく。

その言葉の真意を、少しの間違いもなく理解しているようだった。

「結局、それって惚気けてる≠だろ。どうせ。」

なんてものわかりがよく、聡い男か。カンセルの正しい批難に、ザックスは思わず笑った。

 

 

 

 

 

 


 

 

さく、さく、さく……

いつもの並木道を、二人、雪を踏みしめながら並んで歩いていく。

 

 

 

襲われたのは昨夜のことだというのに。

クラウドは午後には大学に行き、夕方はアルバイトで常通りの勤務をこなしたという。

仕事を終えたザックスが慌ててコンビニへと走れば、彼は普段と変わらぬ態度でザックスを迎えた。

「体は大丈夫か」そう思わず聞いた言葉に無神経だったかと後悔したが、

クラウドは「ケツに響くから、今日は笑わせないでね」と冗談を交えるぐらい軽く返した。

 

頬の傷を覆う白いガーゼが、顔が小さい分大きく感じて痛々しい。

唇のはしが青く変色しているのも、手首のうっ血跡も、彼の美しさを更に妖しく惹きたてるかのようで、

周囲は何があったのだとさぞや騒ぎ立てたことだろう。当の本人は「転んだ」の一言で済ませたらしいが。

どんなに可愛くても、やはりクラウドはか弱い女ではない――男だ。

今日一日、彼のことが気になって仕事もほとんど手につかずにいた自分よりも、

よっぽど芯の強い、男の中の男だと思う。

 

大袈裟でなく「命をかけて」守ってもらったことなど、ザックスはこれまで生きてきて、絶対になかった。

そして、命に代えても守りたいと思ったこともなかったのだ。彼と、出逢うまでは。

 

「ザックス。荷物、俺も持つよ。俺のものがほとんどだし。」

「いや、いいよ。重くないから。」

ザックスの両手は、コンビニのビニール袋で塞がっている。

中身は食料品のほか、クラウドの下着や靴下、それに歯ブラシや新しいタオル等――

生活に必要と思われるものをコンビニで買いそろえたものだ。

便利なもので、大抵の食料品や生活用品はコンビニで事足りてしまう。

 

「でも。ザックス…怪我してるし。」

ザックスの右手の包帯、それに視線をやって、クラウドは眉を下げた。自分を責めている顔だ。

あれだけ危険を冒して庇ってくれたというのに、クラウドはザックスに怪我を負わせてしまったと

気に病んでいる。自分に厳しいところは彼の美点ではあるけれど、そんな顔をしてほしくない。

「大袈裟に包帯が巻いてあるだけでさ。全然大したことないんだよ。」

窓を素手で割ったのだから、多少の怪我は当然。

だが破片が粒状に砕けたため大きな裂傷に至ることはなく、直接窓を叩いた手の甲部分に打撲傷を

負った程度である。それよりもクラウドの方がよっぽど、痛く恐ろしい思いをしたことだろう。

 

昨夜クラウドを襲った男は、ザックスと争った結果――肋骨と前歯、それに鼻を折る等の怪我を負い、

病院に担ぎ込まれたという。むろん治療の後は警察による聴取、逮捕が待っている。

まだ被害の全ては確認できていないが、男は部屋の合鍵をコピーし密かに出入りしていたようだ。

部屋のいたるところに盗聴器や盗聴カメラを設置し、着替えや入浴、トイレなど――

彼のプライベートを盗み見ていた。郵便物から個人情報を得て、ゴミ袋を漁っては使用済みのそれらを

コレクションしていたというのだから、正気の沙汰ではない。

 

(痛かったよな。…恐かった、よな。)

手首を縛られ、傷だらけで泣いていた、あのときのクラウドの姿を。

ザックスは、きっと一生忘れることは出来ないだろう。

尻は血にまみれ、いったいどれだけ乱暴に犯されたのか――

考えたくはないけれど、やはり考えてしまって、胸をかきむしりたくなるような憎しみに支配される。

あの男と、そして彼の危険にもっと早く気づくことの出来なかった、不甲斐ない自分に。

 

さく、さく、さく…ザッ、

 

三角屋根のアパートの前で、クラウドは立ち止まった。少し迷ったように、ザックスの顔を窺う。

彼のことだ、今夜このアパートに帰るべきか、ザックスとともにマンションへと行ってもよいのか――

それに迷っているのだ。

「クラウド。荷物、やっぱり一個だけ持ってくれる?」

「…え、でも、」

「両手ふさがってると、手繋げないから。」

彼の迷いを打ち消すように、空いた右手で彼の左手をとる。

包帯で巻かれた手の甲を労わるように、彼はそっと握り返してきた。

 

「…ザックスのマンションに、行っていいの?」

「他のやつが触ったもの、オマエに使わせたくない。窓もはまってない部屋で、オマエが寒い思いするのも

嫌だし、一人になってオマエが恐い思いするのも嫌だ。…俺の目の届かないとこに置いておくの、

もう絶対に嫌だ。」

「それはさすがに、過保護すぎない。」

「俺の恋人超可愛いから、過保護にもなるだろ?」

「超可愛いとかいうな。」

「じゃあ、激かわ?ぐうかわ?ぎゃんかわ?」

「…やっぱ何でもいい。」

クラウドはじろりと睨み上げてきたものの、足場の悪い雪道で暴れるのも面倒だったのか、

諦めたようにため息をついた。そしてその唇が、安心したように少し和らいだ。

 

「よかった。本当は、ちょっと怖かった。」

 

いくらクラウドが度胸や男気があって、暴力に屈しない堅持のある性分であったとしても。

男の醜く狂った欲望を前にすれば、さぞや恐怖したことだろう。

「あんなところザックスに見られて。…もう、嫌われたかなって思ったから――」

その言葉を聞いた瞬間、たまらなくなって彼の華奢な体を抱きしめた。

持っていたビニール袋は地に落ちて、卵のパックが割れる音に苦笑した。

違う、たぶん、愛しいひとにそんな不安を抱かせた情けない自分に苦笑したのだ。おそらくは。

 

 

 

「――人の心なんて、簡単に変わっちまうんだ。」

ザックスの言葉に、クラウドは肩を揺らした。

もしや終わりの言葉が出るのではないかと、震え始めるこの腕の中の体。その背をそっと撫でる。

 

「オマエに何があったって、気持ちは変わらないと思ってたんだ。けど、実際は変わった。」

続くザックスの言葉に、ひきつらせた彼の吐息は、ザックスの胸のあたりでじんわりと熱を持つ。

「たぶん、もう……好き、とか。そんなんじゃないんだ。」

「…おれ、ふられる、の?」

途切れるようにそう言葉にしたクラウドは、全てに絶望したような顔をした。

そんな顔をさせるつもりじゃなかった。そうではないのだ。

 

「ごめん、違うから」謝罪とともに、彼を宙へと抱き上げる。

「うわっ、ザックス…?!おろして…!」

まるで重力を感じないほどに、彼は軽い。そして、美しい。

粉雪が舞う世界で、比喩などではなく天使か妖精かと疑いたくなるほどに、彼の存在は不思議だった。

実際は、彼は人間で、しかも男であるのだから、いくら軽いといっても重みはある。

コンビニのビニールなんかよりもよっぽど重いだろう。けれど、こんなに抱き上げることが容易いのは。

 

 

 

「雪の中歩いてたら抱き上げてやりたいし。ガラスのむこうで泣いてたら、ぶち破って慰めてやりたい。

…そういうの、好きって言葉じゃもう足りないなって。そういう話。」

 

 

 

―― 愛しているよ 。

そう囁くと、冷たい雪の結晶に交じって、温かい涙の粒が降ってきた。

 

 

 

この世界には、どうして愛の言葉限られているのだろう。

「好き」でも、本当は「愛してる」でさえも、もう足りないと思う。

彼を想うこの心は、そんな文字の羅列で表現できるものではないのに。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「クラウド!なあ、頼むから出てきてくれよ…、な?」

 

強化ガラスでさえも迷いなく割るザックスであっても、破れない壁というものがある。

「俺だって子供の頃、おふくろにやってもらったことあるしさ。」

うんともすんとも言わない、強固な壁は、大きな雪見大福のよう――

「な?もうシーツから出てきて?」

そう、それはシーツで覆われた要塞である。

 

初めてザックスのマンションへと足を踏み入れ、その敷居の高さに最初クラウドは恐縮していたようだが

(いわゆる高級マンションである)、ザックス得意の家庭料理を振る舞って、

そうして広い風呂に入れさせれば、ようやくリラックス出来たようだった。

その小さい体でザックスの大きなパーカーをかぶり、柔らかいソファに溺れるようにして腰かけて、

うとうとと目を閉じかけている様は、あまりに愛らしい。髪も乾かしてあげたし、ホットミルクも

飲ませてあげた、出来るならばこのまま寝かせてやりたいのだが。――そうはいかない。

 

今夜乗り越えねばならない、大きな試練があったのだ。

 

「クラウド、このまま寝ちゃったら俺寂しいし。せめて顔見て、おやすみって言わせてよ。な?」

効果はない。人間雪見大福は沈黙を守っている。

もともとクラウドにこのベッドを譲り、自分はソファで眠るつもりだったのだから、別にこのまま電気を消して

「おやすみ」と声をかけてもいいはずだった。けれどそれがどうしても出来ないのは…

シーツの内側から聞こえてくる微かな泣き声が、ザックスには届いていたからだ。

 

「大丈夫クラウド、手当だろ。恥ずかしいことじゃないから、そんな気にするなって!」

「は、恥ずかしいことだ!!!ばか!!ざっくすのばかっ!へんたい!ケツマニア!」

ようやく応えてくれた恋人は、けれど癇癪を起したように泣きじゃくる。

気持ちはわからないではないし、そんな乱れる(?)クラウドでさえも可愛いと思ってしまうぐらいには

この子に溺れているザックスであるが、けれどどさくさに紛れた下品なスラングに頭を抱える。

変態はわかるが、ケツマニアはひどい。いやまあ否定は出来ないけれど。

 

 

 

「尻に、薬塗っただけだろ?」

 

 

 

そう、医者で処方された軟膏を、ザックスが塗ってあげただけのこと。

「オマエ、自分じゃ恐くて塗れないっていうから。俺だっていろいろ頑張ったんだぞ…」

外側は塗れても、中に薬を注入するのは恐い――しまいには放っておけば治るのだからいいと

投げ出すものだから、ならばザックスがと代わりに塗ってあげたのだ。半ば強引に。

 

傷ついた肛門を見るのはザックスとて辛いし、可哀想で仕方がなかった。

と、同時に、やはり愛する恋人の秘部を目の当たりにして、邪心が揺らがないわけがない。

ズキズキと痛む下半身に、理性という武器で立ち向かったのだ。

それなのにケツマニアはやっぱりどうかと思う。まあ否定は出来ないけれど。

 

「嫌だって、いったのに…ザックスが、無理矢理…ケツに突っ込んで…っ!」

「そういうエロイ言い方やめてよ!突っ込んだのは指だし!薬塗っただけだし!」

「酷いよ、中に、いっぱい出して…っ!、」

「いや、だから中に出したのは薬だっての!おまえ、俺を殺す気なの?!」

 

「うええっ!ばか!ばかああああ!うえええんっ!」

「うっ、そ、そんな泣くなって……………な、泣かないで?」

 

あの普段クールな印象のクラウドが。声を出して泣きじゃくるなど、想像もつかなかった。

ストーカーに襲われたときだって、その後抱きしめた時だって、声もなく泣いていたのに。

これは取り繕う余裕もないほどに、ショックだったに違いない。

 

あまりに可哀想になって、その丸まった大福を、シーツごと抱き寄せた。

そのまま彼の頭と思われる部分を、シーツの上から何度も撫でる。

「ごめんな、クラ…。」

そう一言、シーツに口づけて呟くと、クラウドはしゃくりあげながら問うてくる。

「…きらい、に、なった?」

「なんで、そうなんの。俺がオマエを嫌いになるとか有り得ないだろ。」

「だって…あんなの、見せたくなかった。あいつに突っ込まれた痕、ザックスには、」

「クラウド!」

あまりに健気で、あまりに可哀想な彼に――かける言葉もわからなくて、ただただ彼の名を呼ぶ。

「クラウド、クラウド…っ」

繰り返し幾度も幾度も名を呼ぶと、暫くしてその要塞から彼は顔を少し出してくれる。

目は真っ赤になっていて、まるで雪ウサギのようになっていた。

 

 

 

 

「なあ、傷が治ったらさ。エッチ、しようか。」

 

 

 

 

「………できるの?おれ、なんかと。」

「本当いうと、びびってる。情けないけど、かなりびびってるよ。」

「………。」

またじわりと涙を滲ませるその大きな瞳に、そっと唇を寄せて涙を吸い上げる。

 

「大事にしたいとか、泣かせたくないとか。格好つけてもさ。結局、今まで俺、びびってただけなんだ。

オマエはまだ若いし、綺麗だし、すげえ優しいいい子だし。いくらでも選択肢があって、

可能性があって、きっといくらでも…オマエを好きになるやつがいる。

それなのに俺がオマエの人生を奪っていいのかって。それが恐かった。たぶん。」

怪しくなる雲行きに不安を感じているのか、クラウドはザックスのシャツを無意識に握り締めてくる。

 

「けどやっぱり、俺――諦められない。男同士だし、オマエの大事な母ちゃんを悲しまるかもしれない。

オマエのこと、本当には、幸せに出来ないかもしれない。けど、それでも、諦めきれないんだ。」

 

色褪せていた、惰性の日々を繰り返していたザックスの人生とは違う。

クラウドは、彼自身も、彼の未来もあまりに輝いている。

それは360度全てが道である若者の時間が過ぎ、一定の選択肢(レール)しかもう見えない

「大人」になってしまった者が、若者に抱く羨望や幻に過ぎないのかもしれないけれど。

 

けれど少なくとも、二人がともに生きることは、その輝きに影を落とすことになる。

他者からの侮蔑や涙憐、拒絶や偏見――言葉や視線の凶器に、傷つくことになるだろう。

今が幸せならいい、なんて。そんな無責任が許されるのは、最初だけだ。

いつも不安を抱えて、誰かや何かに怯えて、大切なひとを裏切って。 

だからきっと、本当には、幸せにはなれない。それを知っている。

 

 

 

 

「幸せになんか、なりたくない。」

 

 

 

 

あまりに力強く、潔く。そう語るクラウドの涙は、もう止まっていた。

「ひとりで幸せになるぐらいなら、俺は、ザックスと一緒に不幸になりたい。」

貴方と不幸になりたいんです、そう繰り返す彼の言葉に、愛に。

今度はザックスが涙する番だった。

 

 

 

二人で不幸せを分け合うこと、

結局そんなのはこのうえない幸せと同義なのだと、そう、慈しむように重なる唇が教えてくれたから。

 

 

 

 

 

 

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C-brandMOCOCO (2014.03.23

エロまで辿りつかなかった…エロエロ詐欺ですみません(どんなだよ)

 

 

 

 


 

 

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