Story2.落涙
「別に、見返りがほしかったわけじゃない。俺はただ、」
生き方なんて、そう変えられるものじゃない。
たとえ俺が変化を望んだとしても。
俺をとりまく環境になんら変化はないのだし、誰かが何とかしてくれるわけでもない。
この町も、自分も。変わらず汚いままだ。
だけど。変わったことも、ある。
遠くに、「何か」が見え始めていた。あの二人組に出会ってからだ。
霧の向こうに霞んで見えるような…輪郭のはっきりとしない、ぼんやりとした――
けれど確実に、光るもの。
あれは、なんだろう。
もしかして、もしかすると。
――それは、未来とか希望とかって呼ぶのだろうか?
あの変な二人組に出会ってから、一週間が経った。
お節介で、うっとうしいお説教ばかり口にする、うるさい男。
嫌味なぐらい綺麗で、人の嘘も見抜けない、ばかな女。
きっと、もう二度と会うことはないのだろう。
あいつらは、俺とは住む世界が違う、『あっち側』の人間なのだ。
あれから、スリはやめた。
別にザックスに言われたからじゃないし、クラウドに絆されたわけでもない。
ただ、何となくだ。
何となく、スリのチャンスがなかっただけ。あるいは気が乗らなかっただけだ。
「…おえ……っ!」
空腹も極めて、嗚咽が漏れる。
一週間、まともに食事を摂っていなくて、正直参っていた。
ほとんど水しか飲んでいない。
スリをやめたから、当然金がなかった。
かといって、他に生きる方法も知らないし、頼るべき者もいない。
ストリートの仲間はいたけれど、それはスリを犯すときに協力し合う同盟であって、
トモダチなどでは決してなかった。
このままこの汚い路地裏に座りこんでいれば、間違いなく俺はのたれ死ぬのだろう。
……本当は。
本当は、パンを買うわずかな金ぐらいは、あった。
クラウドから受け取った財布には、決して少ないとは言えないギルが入っていたし、
財布自体もそれなりにいい革でできたものだ。いい値段で売れるのだろう。
それでも、その財布に手をつけることは、どうしても出来なかった。
何で、なんて。本当はもう、わかっていたけれど。
週末の、明け方4時。
ストリートの仲間たちは、スリを働いている時間だった。
週末のこの時間は、酒に飲まれたサラリーマンや、暇をもてあました金持ち連中で、ごろごろしている。
だけど俺は、仲間の誘いに乗らず、ただ空腹を抱えて道端に座っていた。
水を飲んでごまかしてみても、体に力は全く入らない。
汚い路地裏の壁に寄りかかり、ただ呆然と、朝日が昇るのを待っていた。
ぽす。
それは、奇妙な偶然だった。
道端に座り込む俺の前を通り過ぎたカップルが、何かを落としていった。
大きさや形状からいって、それは財布だ。
赤い革の財布はいかにも上物で、おそらく女の方が落としたものだろう。
その男女はそれを落とした事実に少しも気付かず、談笑しながら去っていく。
その女の後姿は、いつか見た光景を俺に思い出させた。
明るい色の金髪をふわりとさせて、眩しいほどの真っ白なワンピースを着る女。
(あいつ、クラウドって言ったっけ……。)
目の前の女は、クラウドによく似た、キラキラした外見と身なりをしていて。
街灯を反射させて、その金髪は光をまくようだった。
その女の隣を歩く男の後ろ姿も、黒髪に全体的に黒い格好をしていて、ザックスと似ていないこともない。
身の丈もザックスの方が高いし、金髪もクラウドの方がはるかに眩しく綺麗だったけど。
寄り添う男女は、あの日見た「二人」を鮮明に思い出させた。
まるっきりの別人だと知っていたけど、それでも――
振り返ればやっぱりこの二人も、柔く笑うのだろうかと。なんとなく、そう思った。
だからかも、しれない。
何の気の迷いか、俺はその財布を拾ったとき、信じられない行動に出ていた。
おぼつかない足で立ち上がって、その二人をなんとか追いかけ。
「あ、の…」
本当にバカみたいだけど。
「これ、落としました、けど……。」
その財布を、二人に差し出していた。
クラウドの不器用な笑顔を、もう一度見たかった。
ザックスの大きな手で、また頭を撫でてほしかった。
それだけだった。……それだけ、だったのだ。
二人が、振り返る。
そうして俺を見下ろすその二人の顔は。
俺の想像していたものでは、決してなかった。
ヒトの悪意や憎悪みたいに。そういう目に見えないものを、カタチにしたような。
そんな風に、女は醜く顔を歪ませ、男は俺の胸倉を、乱暴につかんだ。
そして――
「盗みやがったな!このクソガキが!!」
いったい、俺は何を期待していたんだろう。
…どんな未来を、期待してしまったんだろう。
気付いたときには、遅かった。自分は盗みの容疑をかけられ、
否定の言葉すら返す間もなく、ただ男に殴られ、女に罵られた。
「汚らしい子ども!私の財布、放しなさいよ!」
「このガキ、ぶっ殺してやる!」
この世はどこまでも不条理で、暴力的で、利己的で。あまりに、醜い。
――違う。盗んだんじゃない。
そう言葉にできたかはわからなかったけれど、どちらにせよそう訴えたところで、
何も変わりはしないのだろう。信じてもらえたりは、しないのだろう。
ザックスに、聞きたかった。正しく生きていれば救われるのか?
クラウドに、聞きたかった。俺を信じる価値はあるのか?
殴られながら、意識は遠のいていく。
このままもう、いっそ二度と目覚めなければいいのに、と思った。
目覚めなければ、もう腹をすかせることはないし。
…世の中に、人に絶望することもない。
別に、見返りが欲しかったわけじゃない。
……俺はただ、
変わりたかっただけなんだ。
|