ご注意
*「美 女 と 野 獣」 パロディです。が、結局、原作童話は関係ありません。
*本来ペストはノミや血痰から感染するものです。病状・病型含め、全て捏造です。
*グロテスクで惨い表現・ストーリー展開がありますので、ご注意ください。



少年の涙は 野獣の頬を転がって、
唇を濡らしていきました。

とたん、天から光がさし、
色とりどりの花や 豊かな緑が広がっていきます。

けれど、男は醜い姿のまま――
瞼を開けた野獣の眼に最初に映りこんだのは
幸せそうに微笑む少年でした。


Story20.奇跡の意味



「母さん…大事な、話があるんだ。」
台所で昼食を作る母の隣で、クラウドも土鍋を掻き混ぜながら、そう切り出した。
鍋の中身は、母手製のミルクシチューだ。
貧しい生活なので肉はないが、その代わりキノコがたっぷり入っている。クラウドにとって、幼い頃からの好物だった。

「ふふ、やあね。クラウドったら。まるでお嫁さんにでも行くみたいな顔してる。」
クラウドの母は冗談っぽく笑う。
これまで美しいけれど虚弱な印象であった母は、今は頬に健康的な赤味がさして、まるで少女を思わせるような瑞瑞しさを感じる。ザックスに、手を握ってもらってから。

「嫁に行く」という母の言葉に、思わずどう反応したらよいか困惑した。
もしも自分が女で、誰かの元へ嫁ぎにいくだけであれば、きっとこんな罪悪感は持たないだろう。
クラウドはこれから、自分を産み、16年育ててくれた母に、もっと無責任で薄情な裏切りを告げねばならないのだ。
――家を出て、身分(テトラ)を捨てて。ただ、孤独なザックスに寄り添って生きていきたいのだと。

「母さん…今まで、育ててくれてありがとう。親不孝だってわかってる、けど…どうしても、一緒に生きていきたいひとがいるんだ。」
貧しい村、貧しい家。頼る者もなく、仕事もなく、財産もない母が、独りで生きていくことは難しい。
だから、これから何かの形で、母に援助をしていきたいとは思う。
けれど、今までみたいに傍で支えてやることは出来ない。きっと、顔を合わせることはもう出来ない。

身分(テトラ)を失うとは、そういうことだ。

「馬鹿なことを、言わないでちょうだい。」
それは母の、穏やかだけれど確かな「怒り」だった。クラウドの胸は、罪悪感でずきりと痛む。
「親不孝だなんて、馬鹿なことを言わないで。苦労ばかりかけてきたのに、貴方は優しい、とても優しい子に育ってくれた。 貴方が一緒にいたいという相手は―――テトラを持たない、あの男の子なんでしょう?あの子を選んだ貴方を、私は誇りに思うわ。」
「…かあさん、」


「完璧だからその人を愛するんじゃない。完璧ではないにも関わらず愛するのが、本当の愛なの。」


クラウドの首にかかっている、傷だらけのドッグタグを母はじっと見つめていた。
このドッグタグは、彼そのもののようだ。
一見傷だらけで錆びついているのに、その内側には人を癒す力を秘めた、美しい魔法の石が埋め込まれている。

「誰かを愛して、愛されて…それって当然のことじゃない。とても奇跡的なことなのよ。母さんもその奇跡を起こしたから、貴方を生んだの。」
その奇跡はたぶん、一生に一度しか訪れないから、と。
「貴方の人生よ。親のことなんて気にしないで、自由に生きなさい。」

目頭が熱くなって、涙が零れてきそうだった。男なのだから、泣いてはいけない。
泣くのを我慢するおかしな顔を見られないように、母の髪にそっと口づけた。
クラウドの身の丈はとうに彼女を超えているのに、まるで幼い子供のように母への慕情が溢れてくる。
貴方の息子で良かった、貴方を愛しています――そう伝えたいのに、今更言葉には出来なくて、ただ母を包むように抱きしめる。

「…今まで甘えてくれなかったのに、今更甘えん坊になっちゃうなんて。貴方を手放せなくなっちゃうわ。」
よしよし、とそれこそ幼子のようにクラウドの頭を撫でながら、母は鍋の火を消した。
「本当のことを言うと、覚悟していたの。だから貴方の好物を作ろうと思って。今日は、たくさん食べなさいね。」
きっと、母の手料理を食べるのは、これが最後になるだろう。


二人、小さなテーブルに腰かけて、手を合わせたそのとき――


「クラウド!!大変なの!また村で病人が出たって!!」
玄関から飛び込んできたティファの言葉に、クラウドは手にしていたスプーンを床に落とした。







*************



「――どうやら、彼が最後の一人らしいな。裏の路地で転がっているのを、酒場の店主が見つけたらしい。」
「ぴくりとも動かないな。もう死んでいるならいいが…まさかまだ、生きていたら、」
「おいみんな、絶対に近寄るなよ。触れようものならまたあの呪いにかかっちまう!」
「まったく、葬儀もおわって、ようやく村に平和が戻ったと思ったのに。迷惑なことだ。」

村の入り口にほど近い。細い路地裏へと続く、酒場と民家の間。
そこを皆が覗き込み、黒山のような人だかりを作っていた。

母は家に残し、クラウドとティファ二人で件の路地までやってきた。
だが、村中のひとが興味と不安から集まってきていて、路地の奥を覗き込むことが出来ない。
人々は皆、酷く顔を歪ませて、口々にその「最後の病人」を罵倒した。
とてつもなく汚いモノを見るかのように、とてつもなく憎い誰かを語るように。

実際に村人は、この奇病のせいで大切な家族や友人を失った。
だから人々の嫌悪の対象は病人の男ではなく、「ペスト」という病気そのものなのであろう。
だが、もしも男がまだ生きていて、村を歩き回るようなことがあれば、この忌まわしい「呪い」がまた広がってしまう。
それを恐れて、人々は病人に触れることなく、ただ遠目で見張るばかり――つまるところ、傍観しているのだ。

「まったく、よりにもよって俺の店裏で野垂れ死にやがって。商売あがったりだぜ。」
酒場の男店主は、さも迷惑だと嘆く。周りの村人もまったくだ、と頷いた。
「おいお前ら、近寄るんじゃない!ここはガキの遊び場じゃねえんだ、帰りな!」
クラウド達が人々の波をかきわけて進もうとすると、体格のいい酒場の店主に肩をつかまれる。

「でも…まだ、生きているかもしれない。温かい場所に連れていってあげないと、凍死してしまうかも、」
路地は建物の間にあるため、雪は積もっていないけれど。
こんな場所に転がっていれば、たとえ健常な人間であっても、あっという間に凍え死んでしまう。
「何を言ってるんだ!触れば、俺たちが呪われるんだぞ!」
「だからって、ただ黙って見ているわけにはいかない。」
クラウドが制止を振り切ろうとすると、酒場の店主はいっそ乱暴な力で、クラウドの胸倉をつかみ上げた。

「何もわかってねえな!俺の弟はなあ、この呪いにかかって死んじまったんだ!そして俺も、死にかけた!!だから誰もあいつには近寄らせねえ…、わかったかこのクソガキ!」
「でも、同じ村の仲間でしょ?やっぱり可哀想…」
ティファがクラウドに賛同しようとすると、店主ははっと盛大にため息をつく。
「村のやつじゃねえ。よそ者だ。」
「よそ者?」
「ああ、だから迷惑な話だって言ってんだよ。」
よそ者、という言葉には違和感しかなかった。
ニブルヘイムという山間部にある貧村。
外部との接触をたち、保守的で古い考えの根付くこの村に…旅人が寄ることは滅多にない。
それも、奇病により次々と死者が出ていたというのに。

「旅人だって、帰りを待つ人がいるかもしれない。貴方のように、家族がいるかも、」
「――――そいつには、いねえよ。」
「どうしてわかるの?!」
クラウドを馬鹿にしたようにそう言い捨てる店主に、ティファはむきになって言い返す。けれど。
「俺は見たんだ。あいつの顔を。」
男の目が、表情が、酷く怜悧なものに染まっていくのを見て。ぞっ、とクラウドの背筋に悪寒が走った。





「そいつは、身分(テトラ)を持たない。―――〝野獣〟だ。」




ざわ、と周囲の人々が騒ぎ出した。
「よりにもよって人でなしがこの村に…!」
「不浄だ、忌まわしい!」
「触れば、俺たちも身分制度(テトラム)から落ちるぞ。」
「あの城に棲んでた化け物って、こいつじゃないか。」
「つまり、この男が呪いをかけた張本人じゃねえか。」
「野垂れ死にやがって、ざまあねえな。」
「だがたしか、身分(テトラ)のない者を捕らえれば多額の懸賞金が出るって話が、」
「いや、しかしもう死んでるぞ?」
「生死は問わず、ってやつだろ。死体でも金になる――」

意味がわからない。
ひとつの命が失われようとしているのに、人間はそれを見殺しに出来ること。
意味がわからない。
同じ人間なのに、いっそ呪いのような言葉を口に出来ること。
意味を、わかりたくなんかない。


路地の奥で倒れているのは、他でもなく―――――クラウドの愛する人であること。


「ザックス!!!!!」
弾かれたように、人の波からクラウドは飛び出した。
足がもつれて倒れこむと、人々はもうクラウドを止めようとはせず、むしろ一歩下がるように後退する。
巻き込まれることを恐れての行動だ。
クラウドに続こうとするティファは、酒場の店主によって阻まれる。

クラウドが顔をあげれば、目の前には自分自身の影がのびていた。
そしてその影の先――薄暗い路地の奥に。黒いマントに覆われた男が、うつ伏せになって倒れこんでいる。

全身は、黒斑によりどす黒く変色していた。皮膚が壊死しているのか、咽あがるような腐敗臭がする。
「ザックス………?」
縋るように、その名を呼んだ。このひとがザックスじゃなければいい、そう縋りたかったのだ。

(ザックスじゃない、ザックスじゃない、)
最後に会ったときに来ていた黒いマント。
それは今、目の前にあるものと同じであるように思えるけれど。
でもどこにでもあるマントだから、彼であると言う根拠にはならない。

(ザックスじゃない、)
マントの間から転がる大きな手。まるで焦げた肉の塊のようにどす黒く、もとの肌の色がわからない。
この男は、氷点下の寒さの中にも関わらず、手袋をしていない。
そういえば最後に会った時、ザックスは自分の手袋を魔法で、クラウドの靴に変えていた。
もしもあの時、彼が手袋を外さなかったら?
もしも、もしも、病人の手に直接触れなければ――――

(ザックス、じゃ…)
薄汚れたマントに覆われた人物は、黒髪の男だった。
髪の間から見えるのは、手と同じように黒く変色した頬。
そして、肌が変色したことで読み辛いけれど、たしかにそこに刻まれている〝δράκος〟という文字。
最後に会ったとき、ザックスは泣きじゃくるクラウドを胸に抱き留めながら、何といっただろうか。




〝オマエヲ 泣カス グライ ナラ、 俺ハ 死ンダ 方ガ イイ〟




「ザックス!!!!」
勢いよく立ち上がると、彼のもとへ駆け寄った。
周りの悲鳴や抑止の叫び声も、もうクラウドの耳には届かず――その「黒い肉の塊」となった男を、無我夢中でかき抱く。
「ザックス、ザックス…っ!!」
男の肌は、まるで氷のように冷たかった。
まさに凍りついたようにその体は硬直し、人間本来の柔さを感じられない。
まるで人形のような。違う、これは―――死体、のような。




「…………おねがい、ザックス、めをあけて…………おれを、おいていかないで………」




見るも無残な骸を、どう見ても腐った肉の塊となっただけのものを、少しも疎まず抱きしめる少年。
そんなクラウドを、村人たちは最初こそ気味が悪いと慄いていた。
けれど次第に、彼らを罵る言葉は失われていき、ただ、黙って見守るようになった。
「ざっくす……………、しな、ないで……………」
少年の縋る声が、男を呼び続ける声が、あまりに悲痛なものだったから。なんだかたまらなく、可哀想になったのだ。
我身が可愛い大人たちも、けっして鬼や悪魔ではない。ただの、人間なのだ。

そして大人たちは、なんだか自分たちのことが恥ずかしくも思えてきた。
ぼろぼろと、大きな瞳から惜しみなく零れていくその少年の涙は、あまりに美しくて、清らかで、純粋だった。
あの子に比べて、自分たちはなんだ。
ただ傍観して見殺しにしただけでなく、死者に向って嘲罵し、侮辱し、そして金まで得ようとする。
ひとでなし、と野獣の男を呼んだけれど。本当に「ひとでない」のは、いっそ―――




「…………そういえば、黒いマントを着ていた気がする。」




少年の泣き縋る姿を、呆然と見ていた酒場の店主が、ぽつりと呟いた。
店主に抱え込まれるように捕らわれていたティファは、力を抜いた男の腕から自然と解放される。
ティファが男を見上げると、先ほどまで怒りや侮蔑に顔を歪ませていたその表情は、まるで別人のように変わっていた。
顔色は青ざめ、目を見開き、カタカタと口元を震わせている。




「一週間前、俺を、助けてくれた…魔法使いの男。あいつ、だった気がする。」




店主の呟いた告白に、周囲の人々は、はっと息を呑んだ。
どうして気付かなかったのか。
変り果てたその見た目と、身分(テトラ)を持たぬという先入観から、人々が大事な事実を見逃していたこと。
目の前の男の、惨たらしい末路は、他でもなく。
―――――村の人々を救ったからだということ。




人々は、互いの顔を見合わせて、頷いた。
このまま少年を独りで泣かせていては、まさに人でなしだ。男の行動に報いるためにも、命を救ってもらった恩を返すためにも、何か少年の力になってやらねばならない。
せめて、男の遺体を丁重に埋葬するぐらいは。

店主を始めとして、村人たちが、一歩前に踏み出したそのとき。
「そいつらに近づいてはならん!!!」
野太い男の怒鳴り声が響き、人々は思わず足を止めた。
「野獣の死体は、山にでも捨ててこい。モンスターか野犬に食わせればいい。」
金属のステッキを鳴らし、肥えた腹をさすりながら現れたのは…次期村長の男、サンドロ=マルコーであった。

「この野獣は我が家に盗みに入り、しかもこの私を殺そうとしたんだ!」
「しかし、サンドロさん。彼は俺たちを救ってくれた男で、」
「そんなわけがない!!私に逆らえば、お前も村から追い出すぞ!村長はこの私だ!」
「そんな…」

サンドロは、いまだザックスに縋り付くクラウドににじり寄ると、金属のステッキで思い切り殴りつけた。
「クラウド、お前も同罪だ!野獣と繋がったのだから、お前はもう人間じゃない。それに、お前も間違いなく呪いにかかっただろう。 手放すには惜しい美しさだが……私の村を守るためだ。仕方があるまい。」
血走る男の目は、まるで常軌を逸している。…鬼のようだ、と人々は思った。

「こないだは邪魔が入ってしまったが―――さあ、今すぐここで自害しなさい。」
「じがい……?」
いつか貰った、レノのナイフ。
繊細な装飾のなされたそれは、きっとレノの大事なものだろうと、クラウドはずっと身に着けていたのだ。
サンドロの言葉に操られるかのように、クラウドは、無意識にそのナイフへと手をかけていた。
「さあ、野獣の後を追いなさい。お前が死ねば、ようやくこの呪いが終わる。」
「ざっくすの、あと………」


もう動くことのない、腕の中の愛するひと。ザックスのいない人生はもう、考えられなかった。
サンドロの言葉など信じるに値しないものだとわかっているのに、もはやそんなものに縋るしかなかったのだ。
会いたい、会いたい、ザックスに会いたい。
一緒に生きていけないなら、もう一緒に死ぬしか、



「……まってて、いま、あいにいくから、」



「やめて!!」ティファの叫び声を聞きながら、腹にナイフを突き立てた。
視界がずしんとぶれるほどの、表現できぬ痛み――
こちらに駆け寄るティファの姿が一瞬見えたと思ったのに、気付けば辺りは真っ暗闇で。そこにはもう、彼女はいなかった。
そこに存在しているのは、クラウドと、そしてこの腕で抱き締めているザックスだけ。
何も見えない。誰の声も聞こえない。光や音は、そこにない。


その闇は、二人しか存在しないその空間は、ザックスとともに過ごしたあの日々のようだった。
いま、クラウドが足を踏み入れたその闇を、きっとひとは「死」と呼ぶ―――
本来恐ろしいはずのそれが、今のクラウドには、安堵と幸福を感じられる。
錯覚かもしれない、でも、この闇は彼に包まれているようで。もう目覚めなくていい、と思った。
光を永久に失った場所で、ただ、ザックスのことだけを想っていられれば、






キラ、と世界が瞬き、失ったはずの光が戻ってくる。





目の前には、顔をぐちゃぐちゃにして泣くティファの顔。
思わずその涙を拭いてやろうと右手を伸ばすと、自分の指先が、いや体全てが、淡い緑色の光で包まれていることに気付いた。
貫いた腹の、焼けるような痛みが、嘘のように無くなっている。
この感覚を、クラウドは知っている。そうこれは、癒しの魔法―――


でも、誰が?


ゴトリ、と地に何かが落ちた。
それは手のひらに収まるほどの、丸いガラス珠のようなもの。
「マテリア……?」
それが、彼の――ザックスの、マントの中から零れ落ちたのだ。

ザックスの体は、指一本動かない。眼を開けることもないし、呼吸もしていない。心臓の音だって、もう聞こえない。
「なあ……その男、まだ生きているんじゃないか?」
「いや、どう見たって死んでいるだろ…。体が腐ってるんだぞ。」
「でも今、その子の傷を治したのって、魔法じゃないのか?見ただろ、男の持つ石がたしかに光ったんだ。」
「……………………奇跡だ。」
誰かが呟いた、その言葉どおり。たしかに、それは奇跡だった。





呼吸を止めて、心臓を止めて、生きることを止めて。この人はそれでもなお、クラウドを癒してくれたのだ。





その事実に気付いた人々は、野獣と呼ばれた男の優しい心に、胸を打たれた。
耐え切れず、涙を流す者もいた。目を瞑り、どうか彼が天国に召されるようにと、神に祈る者もいた。
そして、クラウドは、手の中にあるナイフを見つめ…今度こそ、と力いっぱい突き立てた。
「クラウド!!!!……え、クラウド?」
ティファは、ナイフを地に突き立ててそのまま円を描いていくクラウドを、何をしているのかと首を傾げて見ている。
「それって………魔法円……?」


ザックスの城で読んだ、ヨハン=ドーマクの著書「魔法医療の可能性」。
何度も繰り返して読んだから、覚えている。魔法円の描き方、呪文の唱え方、全部、覚えているはずだ。
ザックスやレノのように、多くの鍛錬を積み、またその才があれば、魔法円を要さず魔法を使うことが出来る。そういう者もいる。
だが、それはごく一部の者で、基本的には魔力の媒介となる円陣が必要なのだ。
魔法―――〝癒しの魔法を発動させる〟ためには。





今度はザックスじゃない。クラウドが、この手で奇跡を起こすのだ。





「おい!何をしておる、やめんかクラウド!お前は大人しく死ねと言っただろうが!!」
再びステッキを振り上げるサンドロの前に、ティファが両手を広げて立ちはだかる。
そうして、周囲の村人たちも、ティファに加勢するようにサンドロを抑え込んだ。
「貴様ら!裏切りよって!はなせ!はなせえええええっ!!」
「その子の、クラウドの邪魔をしないでください…!」

ティファや村人が見守るなか、クラウドは魔法円を描き続ける。
氷点下の気温であるというのに、極度の緊張感で、額からは汗が伝っていく。
魔法円は、少しのずれも歪みも許されない。本来は複雑な計算式のもと、専用の機械を使って描くと聞く。
だが今、クラウドが持つのはこの手だけ――

いつだったか、ザックスが言っていた。
〝魔法は、無から作り出せるわけじゃない〟のだと。
物質の構造を作り変えたり、作為的な化学反応を起こすことが、魔法の絡繰りなのだと。
もしも、彼を癒すのに何か対価が必要だと言うならば、何だって差し出そう。
この身体、この心、この人生――全て粉々に散ってしまっても、少しも惜しくなんてないから。



魔法円を完成させると、ザックスのマテリアを強く握りしめる。
そして、記憶していた呪文を、教本通りに正しく詠唱した。
ふわ、とマテリアが淡いグリーンに染まっていく――
「これって………成功したんじゃないか?!」
誰かが思わずというように、歓喜の声を上げた時だった。

ビシッ!!
亀裂の入る嫌な音がして、次の瞬間には、クラウドの手の中にあるマテリアが粉々に砕けたのだ。
そしてそのまま、さらさらと空気に融けていく。

「マテリアが……………消滅、した?」

マテリアは本来、成長を繰り返し、最大限にエネルギーが満ちた時に分裂して新たなマテリアを生む。
けれど、その成長しきったマテリアを使い続け、常ではない負荷をかけることで消滅し得るのだと、本で読んだことがあった。 しかしそれはあくまで推論であり、実際に消滅した前例はない。
それはいかにザックスが、この癒しのマテリアを使ったかということ。

他人を癒したが為に、自分が病気になり。他人を癒したが為に、最後の希望であるマテリアも失った。
「……おれのこと、お人好しって………、なんだよ、自分のほうが、ばかがつく、おひとよしじゃ………」
ジャラ、とクラウドの首元でドッグタグが揺れた。
このドッグタグだって、お守りだと言うならば、ザックスが身に着けていればよかったのだ。
優しくて、いっそ馬鹿みたいに優しくて、だから彼はこんな目に遭ってしまって。
本当に、馬鹿みたいだ、と思った。…馬鹿みたいに、





「ばかみたいに……………だいすき、だよ。ザックス」





ぎゅう、と手の中のドッグタグを握りしめた。その時だった。
とたん、ゴオオオ!!と温かい旋風が舞い、手の中から眩いほどの光が四散していく。
光を放つのは―――クラウドが握りしめているドッグタグ。そこに埋め込まれた小さな宝石、〝癒しのマテリア〟の欠片。

少年から放たれる、神々しいまでの眩い閃光を、人々はその場に尻もちをついて見守っていた。
その閃光は、キラキラと揺らめき、光の粒を拡散させていく。
その美しく、優しく、温かい光に、人々は思わず触れてみたくなった。きっと、その光を得れば幸福になれる、そんな気がしたのだ。
でも、人々は手を伸ばすことを止めた。
……その光が与えられるべき男を、皆知っていたから。



少年から放たれた光の粒は、その子が胸に抱いている男へと、当然のように降り注いでいく。
惜しみなく、どこまでも、いつまでも。
いったい何が起きているのか、おそらく一番理解していないのは少年そのひとで、
腐った肉の塊のようなそれが、美しい本来の肌を取り戻していく様を、ただただ茫然と見つめていた。

柔さを取り戻していく体、熱を持つ体温、そして、微かに胸が上下していることが意味するのは呼吸。
どくん、どくん、と音が聞こえる。生を証明する、音が聞こえる。
ゆっくりと開かれていく瞼、蒼い瞳と視線が交じり合えば、それは優しげに細められて、
そして―――





「俺も、馬鹿みたいに……………大好きだよ。クラウド。」





奇跡は、魔法のことじゃない。
哀しい過去を生きてきた野獣が、ひとを愛して、愛されたこと。
…それこそが、本当の奇跡と呼べることなのだ。













愛しい、俺の野獣――


難しい魔法は、知らないけれど。

貴方を笑顔にする
そういう、奇跡を起こす呪文は知っているんだ。

だいすき、って言葉でしょう。








次回はその後の二人…エピローグで完結となります。
ザックラ幸せにし隊。エッチさせ隊。
(2018.03.24 C-brand/ MOCOCO)


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